ふれーゆ裏たぬきのトリック仕掛釣り日記

横浜港奥の『昼間は釣れないふれーゆ裏』での夕まずめ釣りをメインに1年中、アジ嬢を追いかけまわしております。

招き猫🐈の寺と松陰神社^ ^(竿休め20230429)

4/29()東京・世田谷にある豪徳寺にお参りして、招き猫の置き物を買って来ようと思い立ち、かみさんを連れて自宅を出発。

最寄り駅から長津田駅乗り換えで、先ずは三軒茶屋に。前回、ランチで訪問した、「食堂かど」に直行。

 

店前まで来ると、「本日はランチ営業はありません。昼から居酒屋営業となります」の看板が出ていました。

食事が出来ない訳じゃないけど、ランチメニュー無しで居酒屋メニュー。仕方ないので、近所にある長崎チャンポン皿うどんの有名店来来来に入店。

かみさんは、皿うどん。たぬき親父はチャンポンと餃子🥟を注文。チャンポン&皿うどんは美味しいけど餃子🥟は??

そういえば、周りの客も餃子🥟は頼んでいない様子。まぁ、メインの料理が美味しいならば、それでヨシ。

食事を終えて、パン屋みかずき堂🥐で長女&長男用にお土産のパンを数種類購入。なんか、美味しいらしい。

三軒茶屋世田谷線駅に移動。世田谷線は、三軒茶屋から下高井戸を結ぶ、短距離の路線で単線。

 

雰囲気的には、世田谷住宅街を走る「江ノ電」みたいな感じ。住宅街を走るので、速度も速くなくてのんびりと走行。

何本かに1本の割で、猫電車🚃が走っています。今回は乗れませんでしたが、松陰神社前駅で見かけて画像を撮る事が出来ました。

世田谷線に乗り込んで、豪徳寺駅に移動。豪徳寺駅からお目当ての豪徳寺は、のんびりと歩いて約10分程度。

世田谷の閑静な住宅街にあるお寺。江戸時代の彦根藩を統治した勇猛果敢な赤備えの井伊家の菩提寺としても有名。

江戸時代末期の安政大獄で名を轟かせた、幕府大老井伊直弼のお墓も、このお寺にあります。東京都の都市跡石碑が寺入口に立っていました。

 

寺の墓地には井伊家のみを埋葬している場所があり、歴代藩主、奥方の墓がズラリ。その

中の奥に桜田門外ノ変で落命した、井伊直弼の墓もありました。

お目当ての招き猫ですが、豪徳寺は海外にも広く知られている様子。当日も多くの外国人旅行者が訪れていました。

割合的には、アジアからの旅行者が目立ちました。皆一様に、招き猫が置かれた設置台をバックに自撮りをしていました。

豪徳寺に神として招き猫が祀られて、全国的にも有名になった理由ですが、江戸時代初期に彦根藩3代藩主・井伊直孝が起因。

 

たまたま、豪徳寺山門前を通りかかった、井伊直孝。すると、白い猫🐈が現れて、こっちに来いとばかり泣き手招き😆

 

猫について、山門に入ると天候が一転して、土砂降りの雷雨が。この猫のおかげで雷雨を凌ぐ事が出来たとか。

 

山門で雨宿りをしている井伊直孝一行を見た、寺の住職はびっくり仰天。慌てて寺に招き入れて馳走と暇つぶしの説話、世間話。

 

住職のもてなしと待遇、知見の広さに感銘を受けた井伊直孝豪徳寺を井伊家の菩提寺とする事を決定。

 

世田谷村の小さな豪徳寺は一気にメジャーデビュー😆、井伊家寄進寄贈もあり、寺を大きくして勢力を拡大していったんだとか。

 

それだけ?まぁ、そんな訳で全国の商家やら飲食店やらに今でも招き猫の置き物が置かれているんだか大したモンです。

 

招き猫はお寺の札所で、お守りやお札と一緒に販売されています。大中小&少々😆とあり、願いが叶うかどうかは運次第。

たぬき親父は小を購入して持ち帰り。2023年を無病息災で過ごす事が出来たら、2024年に奉納して中を購入、持ち帰る予定。

豪徳寺を後にして、再び世田谷線に乗車して、松陰神社前駅で下車。先ずは駅前商店街にある焼き菓子屋を探す事に。

 

これも長女からの頼まれごと。店の名前は、merci bake(メルシーベイク)で小さなお店らしい。

 

昨今は方向音痴のたぬき親父でも、スマホGPSを使えば楽勝!と思ったものの、目当ての店は見つからない。

でも地図の場所はこの辺り。しばし周辺を行ったり来たり。すると、看板が無い!けど、行列が出来ている店を発見。

 

ここが、お目当てのお店でした。電話で長女に確認して、ガトーショコラ、焼き菓子などを購入。

そして、店の隣に、煎餅屋のカフェ☕️を見つけて、煎茶と🍵和菓子で小休憩。結構、小洒落た内装でのんびり出来る空間。

と思ったら、少し離れた席に座った休暇中のOL2人組が「あたし達は仕事が出来る、ベテランOL👩‍💼」自慢ワールドを展開^ ^

聞きたくなくても、大声で話しているから、嫌でも耳に入る。やがて、自慢ワールドから

指示がファジーな?上司の話題に。

 

まぁ、居酒屋でもカフェ☕️でも、話題はそんなモンなんですけどね。声が大きいと周りにダダ漏れ^ ^

松陰神社前駅から松陰神社までは徒歩5分程度の道のり。神社内には有名な松下村塾を復元した建物もあり多くの観光客で賑わっていました。

吉田松陰は幕末に長州藩士石高26石の杉常道の次男として誕生。杉家は半農藩士、貧乏世帯で子供も7人。

 

次男として生まれた松陰(幼名は虎次郎)は当然、家督は継げないので、石高57石の吉田家に養子に出される。

 

いわゆる松蔭は神童。めきめきと頭角を表して、九州・平戸藩や江戸に留学。西洋学に興味を持ち、その後、脱藩、士籍剥奪、世録没収となり浪人に。

 

その後、伊豆・下田に停泊中の米国船に盗んだ小舟で漕ぎ寄せて乗船。しかし、渡航は拒否されてしまいました。

 

夢破れた松陰は自首。伝馬町牢屋敷に収監されてしまう。その後、許されて国本に戻り、蟄居、杉家に閉門処分となる。

 

その後、杉家敷地内に松下村塾を開設して集まった生徒(弟子?)たちは、そうそうたる面々が集合。

 

その後、松蔭は安政5年に幕府が無勅許で日米修好条約を締結した事に激怒。「傍若無人な幕府撃つべし!」と討幕運動画策。

 

とは言え失敗につぐ失敗。そして、投獄されてしまう。安政の大獄で連坐、江戸に搬送されて取り調べを受ける。

 

その際に、実際は根も葉もない、老中暗殺計画を何故か?自白。当然、国家反逆の徒として、死罪。安政6年に小伝馬町で打首。

 

享年は、僅か30歳。弟子たちは明治維新の覇者となり獅子奮迅の活躍をしたのは、歴史の教科書通り。

 

世田谷の松陰神社は、実は長州藩別邸跡地。社内の26基の灯籠は弟子たちや維新立役者、軍人、著名人の錚々たる名前がズラリ。

 

目と鼻の先の、谷を挟んだ先が安政の大獄を起こした井伊直弼が眠る豪徳寺。中々、皮肉な結末。

 

松陰は学業の神様、維新の神様に祭り上げられて、現代に至ると言った感じなんでしょうねぇ。結局、何をした人?

 

松陰神社をお参りして、世田谷線に乗り込み、三軒茶屋駅で田園都市線三軒茶屋駅から二子玉川駅に。

二子玉川駅近くにある、蕎麦割烹9つ井戸に入店。ここに入るのは初めて。いつもは、鎌倉にある本店ばかり。

 

他にも横浜・長津田横浜駅前にも支店があるけど行った事が無い。注文したのは、かみさんが鴨南蛮。

で、たぬき親父は、ちらしそば。本店とは具材が違うのは、ご愛顧。蕎麦は支店でも、美味しい。

食事を終えて、陶器食器やガラス食器類の中に、大小の招き猫置物を発見。犬🐕は陽で猫🐈は陰。

 

鍋島藩バケ猫騒動とか、ゲゲゲの鬼太郎の、ネコ娘とか。でも、そう言えば、イヌ男🐕とかは無いよね。

 

忠犬ハチ公とかあるけど、招き犬は無いよね。昔話、桃太郎の家来も、猿🐒、雉、イヌ🐕の3匹で猫は混ざっていない。

 

因みに猿→知恵、雉→勇気、イヌ→忠誠の意味があるらしい。じゃあ、猫🐈は、なんなんでしょうね?

 

昔は基本、イヌは昼間は外。猫は夜に外で活動。でも、時代は変わっても、愛されている動物なんでしょうね。