ふれーゆ裏たぬきのトリック仕掛釣り日記

横浜港奥の『昼間は釣れないふれーゆ裏』での夕まずめ釣りをメインに1年中、アジ嬢を追いかけまわしております。

日々是好日^ ^上野&浅草寄席はしご^ ^上野編(竿休め20220719)

日本史、時代小説、時代劇が好きな方や興味がある方は、講談を聞くと、かなりの高い確率でハマると思います。

中学、高校の文部省教科書の日本史のつまらない事、この上なしでしたが、歴史小説大好きだった為、成績は抜群だった、たぬき親父。

昔の講談は初心者向けと言うより、馴染み、常連向けに読んでいて、ついて来る、来ないは客の問題みたいな所が。

落語は、流行り廃りを繰り返しながらも、それなりの隆盛を誇っているのも、わかりやすいから。

馴染み、常連が高齢化している今となっては、同じ事をしていたら、講談は衰退するばかり。

現在の講談界は、男性よりも女性が活躍する場となっています。役者、声優、アナウンサー&アナウンサー志望から女流講談師になった方も多いようです。

例えば、一龍斎春水(はるみ)。講談師名を聞いても誰だかわかりません。声優名は、麻上洋子さん。

宇宙戦艦ヤマトの森雪の声優さんとして、一世風靡。他にも様々なアニメの声優さんとして活躍した後、講談師になられました。

他にも、一龍斎貞友(ちびまる子のお母さん、他多数)、一龍斎貞弥(ナレーション、音声機械音)などなど。

一龍斎春水の講座には、未だに往年の宇宙戦艦ヤマトファンが押し寄せていて、森雪のセリフをねだっているようです。

さて、上野広小路亭前に行くと、既に入口前には、入場待ちの行列が出来ていました。最後尾に並び、木戸銭を支払い入場。

この寄席は靴を脱いで入場。2階のフロアにある鍵付き下駄箱に靴を預けてから、3階にある寄席入口に。

平日にもかかわらず、客入りは9割以上。開演時には、ほぼ全席が埋まる、中々の盛況ぶりでした。(席数は約70席)

とは言え、7割ぐらいは、お年寄りの観客が目立ちますが、残り3割は若い女性や学生の姿がちらほら。

幕が上がると、前座の神田紅希(日本講談協会会長、神田紅のお弟子さん)が登場。

源平盛衰記より「巴御前 富士川 宇治川の戦い」で開演。

講談、落語界は古い仕来りがあって、前座の氏名、演目名はプログラムには、記載されません。

寄席外にある看板やのぼりにも名前が無く、舞台左手に掲げられる、めくりの演者掲示板にも名前がありません、

修行見習い中で、まだまだ、観客からお金が取れる身分じゃ無いから、演者の前座と言う地位なんだとか。

前座さんは、自分で名乗り、枕言葉も禁止されているので、直ぐに読み物に入らないとならないらしい。

この環境でめげずに、場数を踏んで腕と度胸を磨いていく実戦形式のシステム。一時期、なり手が壊滅的に減少したのも仕方がない。

台本は同じでも、読み方の高揚や表現力、顔の表情や仕草、登場人物毎の声色使いなど、前座でも中々、上手い。

平安時代末期の寿永3年(1184年)1月、木曽義仲源義経源範頼軍との戦いで敗れた木曽義仲は、愛妾巴御前に今生の別れを告げて敗走。

残った巴は義仲敗走の時間を稼ぐため、薙刀を携え三百人の兵を率い梶原景高勢と対峙すると、一瞬で24人の敵を斬り捨てた。

その圧倒的強さに慄き逃げ惑う敵勢。そこへ現れたのが和田義盛、いざ一騎打ちを名乗り出る。

互角の勝負に見えたが、肝心な時に薙刀を失った巴の運が尽きたか、義盛に捕らえられてしまう。

講談の良い?所は連続物の読み物なので、「巴御前の運命や如何に!これから先、物語は面白くなって来る所ではございますが、本日、わたくしの持ち時間がここまで。また、次の機会にお客様とお会い出来るのを楽しみにしております。本日はありがとうございました。」でお終い。

講談で描く巴御前は、錦絵から出た様な絶世の美女、武芸の達人にして、剛力の持ち主として、描かれています。

木曽義仲を討伐に向かった、源氏の将も自身の家系に武勇が鳴り響いた巴御前を迎えたいと引く手数多だったそうな。

2番手は前座の神田陽菜(神田陽子の弟子)の「山内一豊 出世の馬揃え」で、講談の演目では有名な読み物。

山内一豊正室千代を描いた、「功名が辻」はベストセラーになったし、NHK大河ドラマにもなったので、ご存知の方も多いはず。

先程の神田紅希よりも、ベテランに見えない前座さん。プロフィールが無いけど元役者さんか?地方局のアナウンサー?みたいな風格。

当然と言うか、喋り方も上手いし滑舌も良いし姿勢も良い。若手も粒ぞろいなら、講談界も安泰。

織田家家臣の馬廻り衆ではあるものの、まだまだ低い身分の山内一豊安土城下の馬市場で、立派な栗毛の若駒が目に入る。

立派な馬だけど価格は黄金10枚。貧乏侍の一豊には、とても手が出ない名馬。貧乏の我が身を嘆きながら帰宅。

賢妻千代が目敏く、一豊の落胆している様子が気になり問いただす。一豊から話を聞いた千代は婚姻持参した、鏡台の隠し扉を開き、黄金10枚を取り出して、一豊に手渡す。

このくだりは、講談師によりアレンジや読み方が異なるのも面白い場面。司馬遼太郎の「功名が辻」でも描かれている場面。

ご奉公は戦さ働きだけにあらず。安土城下で10両とは言え、織田の家臣は名馬を見る目が無い、カネ無しの田舎者呼ばわりされるかもしれない。

名馬を手に入れた山内一豊は、織田信長主催の馬揃えで面目を保ち、信長からも褒美を頂戴、以後の戦場で大活躍、遂には四国土佐一国を与えられ、20万石の大大名に出世。

しかし、この美談は史料に記載は皆無なんだとか。実際にあったのか?無かったのか?と言う場合、講談になった話は無かった?

次は二ツ目神田紅純で、この方は神田松鯉のお弟子さんで、神田伯山の妹弟子。まだまだ緊張の堅さが抜けない感じで一生懸命。

講談「秋色桜」を熱演。この「秋色桜」には、親孝行の娘(主人公)が登場します。

父親は娘が小さい時に、妻君を亡くした朴訥な菓子職人。この父親は、寛文の末頃、当時日本橋小網町一丁目で、小さな菓子屋、大阪屋を経営する主人兼職人。

周囲からの進言を聞かず、後妻を娶らず、仕事の家業に没頭。娘の成長だけが楽しみといった、生真面目な父親。

娘には読み書きを習わせていましたが、利発な子供で、父親が知らぬ間に宝井其角俳諧を学び、今で言うペンネームとして秋色女(しゅうしきじょ)および菊后亭秋色(きくごていしゅうしき)という俳号を名乗るまでに成長した才女。

娘が13歳の時に、上野寛永寺清水堂のわきにある桜に結わえておいた俳句「井戸端の 桜あぶなし 酒の酔」が当時の親王の目にとまり、謁見を許されたことから親孝行の物語がはじまる。

紅純さんは、この先の物語を語るには持ち時間が足らないと思ったのか、ここで読み終わりにして、残り時間を秋色庵大阪屋の宣伝。

この父親の菓子店は、令和4年現在も営業中のお店。場所は東京都港区三田3-1-9で慶應大学三田校舎正門前。

秋色女は父親共々、新王に呼び出されて歓迎、接待を受け、以後も度々、呼び出しを受けて褒美を頂戴したんだとか。

その都度、新王は秋色女の為、送迎の籠を手配。ある時に宴席で体調を崩した秋色女の父親。折しも、天気は雨模様。

秋色女は父親を籠に乗せ、父親の蓑と菅笠を被り籠の脇を歩いて帰宅。自宅前について駕籠かきが降ろそうとすると乗客は父親。

秋色女は駕籠かきに口止めしたが、人の口に戸は立てられず、才女の孝行娘がいる店と評判になり、店は繁盛したんだとか。

次に出て来た神田伯山に、時間配分が出来ていないから、余り時間を店の宣伝に費やしていたといじられていました。

神田伯山が出て来ると観客は拍手喝采👏で、やはり人気者。読み物は「寛政力士伝 谷風の情け相撲」

江戸時代の寛政年間には、相撲界のレジェンドで最強大関雷電(197センチ、169kg、254勝10敗!)や横綱谷風(189センチ、162kg、258勝14敗!)が活躍した時代。

江戸時代に、この体格と体重は凄いな。ほぼ無配に近いのも凄い。

横綱谷風が唯一、相手に手心を加えて負けてやった試合が講談ネタの「谷風の情け相撲」

負けまくりの貧乏幕内力士がいて、この場所で1勝も出来なければ引退勧告。連戦連敗だから貧乏。

貧と言えば乏がつく程の貧乏。(講談の貧乏の例え方)なぜ勝てないか?と言えば、母親が長患いで床につき看病と薬代がかかる。

その為、稽古不足で貧乏だから食うものも食えず力も出ないから勝てない。勝てないからカネが稼げずに貧乏の負のスパイラル。

こんな弱い力士でも、ご贔屓にしている大工の棟梁がいて提案を持ちかける。大横綱谷風のまわしを片手でも取る事が出来たら5両。

両手さそして、勝てたら100両。しかし、相手は大横綱。勝てるはずもない。

開幕して横綱谷風は連戦連勝。かたや連戦連敗の体たらく。そして、遂に対戦。谷風は、相手力士が、この場所で1勝も勝つ事が出来なければ引退を知っていて、ワザと負けてやろうと画策する。

ワザとまわしを取らせて、四つに組み、土俵際に。足を土俵外に出して上手投げ。行司の軍配は、当然、相手力士に。

大歓声の中、羽織りが飛び交う土俵の上。現在は座布団が飛び交うけど、当時は着ている羽織りを投げたんだとか。

呼び出しが羽織りを回収して、名前を確認して観客に手渡し。幾らかの手数料を徴収していたそうな^ ^

神田伯山の次が、姉弟子の神田阿久鯉あぐり)。伯山も持ち時間が余ったらしくて、阿久鯉がイジる。

阿久鯉と言う命名は、師匠の神田松鯉浅野内匠頭正室、瑶泉院(ようぜいいん)で名前は阿久里(あぐり)から取ったもの。

因みに神田伯山の前の名前は、松之常で此方は大石内蔵助の長男、力の幼名。講談師は夏は怪談、冬は赤穂義士で暮らす家業なんだとか。

読み物は、「慶安太平記 宇都谷峠」からですが、これからと言う所で、やはり、持ち時間が無くなりましたでお終い。

次の神田昌味(まさみ)は、日本講談協会副会長のベテラン。江戸時代、徳川家光公の時代に活躍した名工、「左甚五郎 水飲みの龍」が読み物。

左甚五郎は日光東照宮の木彫りの「眠り猫」など数多くの作品を残した名工。様々な逸話が講談や落語のネタになっています。

上野寛永寺、鐘楼建設の際、4本柱を飾る龍🐉の彫刻で飾ることが決まり、当代4人の名工に選ばれたのが左甚五郎。

しかし、今まで龍を彫った事がない為、あちこちにある龍の彫刻や絵画を見て歩く。どれもこれも、自分が彫りたい物では無く弁財天に願掛けしてお祈りするが、全く答えが得られない。

何度も通い願掛けする、左甚五郎。しかし、彫り始める期日は直前。諦めて帰ろうとした時、晴天だった天候が激減。

空は暗褐色に曇り落雷、豪雨に。不忍池は泡立ち、その中から巨大な黒いヘビが出現。大きな口を開けて池の上を疾走。

やがて、空に飛び立ち雲を従えて天に昇り消えていった。左甚五郎が気がつくと空は晴天のまま。

大きなヘビでは無くあれは、大きな龍🐉で弁財天が自分に龍を見せてくれたと狂喜乱舞して仕事場に。

彫り上がった龍を検分した役人。左甚五郎の龍は頭デッカチで荒削りの不細工。しかし、彫り直しを命じる時間が無い。

しかし、この龍を柱に取り付けて見上げると、天に登る昇龍の様な迫力。さすが当代の名人左甚五郎と見に来る客で大賑わい。

しかし、ある時、寛永寺の小僧が深夜、不忍池で大きな音がするので不審に思い、確認をしに行くと池の水をガブガブ飲んでいる巨大な黒いヘビの姿が。

驚いた小僧が和尚らを呼び、再び、不忍池に駆けつけると、池の水を飲む巨大な黒いヘビの姿が。水を飲み満足したヘビは池の上を飛び、鐘楼の柱に巻きつき動きを止める。

和尚らが恐る恐る近寄り柱を見上げると、それは左甚五郎の彫った龍だったと言うお話。

次の出番は神田茜日本講談協会理事で何冊も小説を出筆している講談師兼作家。新作講談ネタを披露。

新米講談師は前座時代に、はとバス🚌が企画する「講談師と巡る、お江戸ツアー」なるアルバイトをする事があるんだとか。

新作講談で年増のバスガイドの話。落語ネタでもいけそうな経験者ならではの楽しい読み物でした。

2部構成で、次が「赤穂義士銘々伝 岡野金右衛門 恋の絵図面取り」で、美男の岡野金右衛門に恋した大工棟梁の娘お艶の読み物。

吉良邸絵図面 吉良屋敷を設計、普請した大工棟梁の娘、お艶(おつや)が美人じゃ無い場合の話。

岡野金右衛門は酒屋の番頭になりすまして、商いの傍ら吉良家の動向を探る日々。そんな中、吉良屋敷を普請した大工棟梁の娘、お艶をたらし込んで吉良屋敷の絵図面を持って来たら夫婦になると言い聞かせて、絵図面を持って来させる。

絵図面を手に入れた岡野金右衛門。もうお艶には眼もくれず仲間の元に。そして、12月14日吉良屋敷に討入り、見事本懐。

泉岳寺に引き揚げる赤穂浪士の隊列の中に岡野金右衛門を探すお艶。しかし、岡野金右衛門は眼も合わせてくれない。

途方に暮れて帰宅したお艶。親父の棟梁が岡野金右衛門からの手紙だと言い、驚くお艶に手渡す。

お艶殿。先程は声もかけられずに失礼を致した。民衆の中で貴方に声を掛けたら、貴方に迷惑をかける。私の将来を誓った貴方に迷惑をかけるのは云々。

しかし、この手紙は親父の棟梁が書いた物。書きクセや書体で、お艶は直ぐに見破ったものの、気遣いに感謝して手紙を大事に保管。

その後、嫁入りをして子供を授かり夫婦仲良く暮らしましたとさ、と言うお話。

中入り(休憩)後は神田蘭が登場。講談協会会長神田紅の弟子。女性講談師で講談師になる前は女優として活躍。TVCMにも出演した経歴の持ち主。

神田伯山、柳亭小痴楽桂宮治ら成金メンバーが前座時代の立て前座で厳しく指導。成金メンバーからは親しみも込めて、鬼軍曹と呼ばれる。

成金メンバーからは、前座仕事の物覚えが悪い神田伯山はメンバーから「クソ前座」と、揶揄されていたんだとか。

読み物は「乃木将軍 辻占い売りの少年」。乃木将軍は長州藩支藩長府藩に仕える乃木家150石の三男として誕生。幼名は無人(なきと)。長男、次男が早世したのでこの名前。

昔の男子は女子に比べて、早世する事が多かったらしく、親は7歳になるまで息子に女子と同じ格好をさせて病魔から欺く肢体をとらせるとか、もう必死だったらしい。

成人して長州征伐戦に参戦。明治維新後、陸軍軍人として戊辰戦争にも参戦。日清、日露戦争を戦い抜いた将軍。

物語は、辻占い売りの少年の話。この少年の父親は日露戦争に陸軍兵として参戦、戦死。

寝たきりの母親を抱えて、辻占い売りを生業として、看病と治療費が払えず借金生活。

偶然、この少年を街で見かけた乃木将軍。少年を良く知る車夫から少年の置かれている実情を聞き、少年宅を訪問する。

偶々、少年宅に借金取りが上がり込み、夜具を借金のカタに取立てようとする所に出くわして、借金取りを殴りつける。

少年から借金額を聞き出し、借金取りに手渡して借用書を取り返し、少年に手渡す。仏壇に手を合わせて、幾らかのお金を置いて立ち去ると言う話。

乃木将軍は日露戦争時に陸軍司令官として、激戦地、中国遼東半島にあるロシア軍鉄壁要塞の露順攻略戦、同203高地攻略戦の司令官として赴任。

当時の陸軍は、一斉砲撃、一斉射撃の後は、銃剣を構えての突撃に次ぐ突撃。しかし、分厚いコンクリート塹壕、鉄条網の前に死屍累々の有様。

結局、大本営は東京周辺に配置していた榴弾砲を現地に持込み、突貫工事で設営。昼夜問わず、203高地を砲撃。

そして、陸軍部隊が203高地を占領。直ぐに山頂に電話線を引き、露順港に停泊している艦船の位置を海軍砲兵連隊に報告。

山を越えて曲射砲撃。戦艦、巡洋艦駆逐艦に次々と命中させて、大破、炎上。1部は撃沈させて旅順艦隊は阿鼻叫喚の騒ぎ。

腹を決めて旅順港外洋に出撃。待ち構えていた、日本海連合艦隊により旅順艦隊壊滅。

この黄海開戦の勝利により、日本海連合艦隊は日本に帰国して乗員の休養、艦船破損箇所修理、補強、武器弾薬、食料、飲料水を補給して、日本海海戦に準備を整える事が出来ました。

乃木将軍は旅順攻略で子息を無くし、明治天皇統御の際に殉死。乃木将軍の名は乃木神社、乃木坂に名前が残るところから人気があったんでしょうね。

次は男性講談師の神田鯉風。神田伯山の兄弟子。読み物は「大岡政談 縛られ地蔵」で、結構、有名な講談話。

ケチで有名な日本橋本町一丁目の木綿問屋、山形屋。ある時、旗本屋敷から木綿100反の注文が入る。

山形屋に勤務している喜之助が大八車に反物を積み込んで1人で出発。日本橋から業平橋地蔵尊前でひと休み。

しかし、疲れからうたた寝をしてしまう。ふと気がついて目がさめると大八車の反物が消えている事に気がつく。

山形屋に戻り、主人に事の次第を話すが、お前が売り飛ばしたのだろうと納得せず、代金を弁償する様に言い渡される。

困った喜之助は、友人に相談。友人は南町奉行所大岡越前守様に訴えて反物を盗んだ盗人を捕まえて貰おうと訴える。

大岡越前守は、神仏でありながら、反物を盗む場面を目撃、何もしない地蔵尊は不届き至極、縄を打ち奉行所に引っ立てよ!と命令。

南町奉行所より役人、捕り方が大挙して、業平橋地蔵尊前に。当然、何事かと野次馬が集まり出す。

役人は地蔵尊に罪状を読み上げ、縄を掛けて南町奉行所に運ぶ。野次馬は面白がって、南町奉行所までついて行く。

南町奉行所は野次馬ごと地蔵尊を白州に。大岡越前守は、人に話すように地蔵尊を取り調べして、喜助らの訴えを問いただす。

野次馬は大岡越前守が気が触れたのかと大騒ぎ。激怒した大岡越前守は、野次馬全員を捕縛して牢屋にブチ込む。

そして、釈放にあたり罰金は1人当たり木綿1反を科す。白布に住所と名前を書いて奉行所に差し出せと命令。こうして何百というさらしが集まった。

これが大岡越前守の作戦で集まった反物を調べると盗まれた山形屋の刻印がある反物が発見される。

提出させた住所、氏名から購入先を割り出して、無事に犯人を捕縛。過料として集めた反物は庶民に返却して一件落着。

大岡越前守忠相は不正を許さない庶民の味方、武士の中の武士として描かれていて、人気が高い人物。

大岡政談で、有名な話は、この、縛られ地蔵、三方一両損、五貫抜きなどですが、いずれの話も講談師が創作したモノの様です。

川柳にある、「講釈師、見てきたようなウソを言い」何でしょうね。事の真偽云々より、純粋に楽しむのが良いのでしょう。

この話に出て来る「縛られ地蔵」ですが、何と天台宗南蔵院に今も?現存していて、今も荒縄でぐるぐる巻きにされているそうです。

南蔵院の住所は、東京都葛飾東水元2丁目28番25号です。ご興味のある方は、現物を見てはいかがでしょう。

毎年、大晦日に縄ときの儀式があり、1年間に巻かれた荒縄が断ち切られるようです。泥棒避け、縁結びなどなどご利益があるそうですよ。

トリは講談師唯一の人間国宝日本講談協会名誉会長、神田伯山の師匠、神田松鯉先生。読み物は怪談で、題名は「小幡小平次」って誰??

宝永元年2月のこと。市川団十郎は江戸・市村座の舞台の上で生島半六という者に斬り殺される。(市川団十郎って初代から波乱)

半六は下回りの役者。当然、この時代は討ち首になって処刑。半六には「おちか」という妻と六歳になる倅、半之助がいたが、主人を失い露頭に迷う。

生島半六が亡くなった後、この、おちかのもとに通い、面倒を見てやっているのが、半六の役者仲間の小幡小平次

何度か通っているうちに男女の仲に。子供の半之助も懐いて夫婦の約束を交わす。

市川団十郎2代目には息子が襲名。(海老蔵かな?)小平次団十郎に、おちかと夫婦になった事を報告。

団十郎は「お前が誰を女房にしようが、知った事では無いが、父親の仇の片割れを娶った、お前と同じ舞台には立てねぇ。そいつだけは承知してくれ」と申し渡される。

すると、団十郎に気兼ねした他の俳優達からも、小平次には声が掛からなくなり、歌舞伎の舞台から干されてしまう。

このままでは、稼ぎが無いので、売れていない役者仲間に声を掛けて一座を組み、旅の芝居興行で喰って行く事に。

その留守に、芝居鳴り物師の太九郎(たくろう)が、おちかと良い仲になり間男となる。男前だが役者では無い為、給金は安い。

おちかの手元に小平次は100両もの金子を預けて旅興行に出た。おちかは、太九郎に小平次を殺して100両横取りを持ちかける。

何も知らない小平次は、旅先での興行が当たり、連日満員御礼で人手が足らない為、太九郎を旅先に呼び寄せる。

連日満員御礼で太九郎も大忙しで働く毎日。しかし、秋の刈り入れ時期に入り、観客は激減。ついに誰も来なくなった。

大九郎は近所の沼に小平次を釣りに誘う。小舟を借りて中程に出て釣りをすると、面白いように、大きな魚が釣れる。

やがて夕暮れ時になり、帰り支度を始めた小平次の背中を太九郎が押して沼に落とす。船べりを掴んで上がろうとする小平次を船の櫂で叩き落とし沼に沈める。

陸に上がって、そのまま、太九郎は江戸に旅立つ。無事に帰り着き、その足でおちかが住む長屋に。

長屋の前で遊んでいた、おちかの倅、半之助が「お父(小平次)が帰っているから、入っちゃいけねぇよ」と入口に立ちはだかる。

その騒ぎを聞いて、おちかが出て来て開口一番、だらしない男だ、小平次が昨夜、ずぶ濡れになって帰って来た、今、奥で寝ているとおかんむり。

太九郎は、そんなはずは無い、この手で小平次をと、家に上がり込み、奥に敷いた布団を剥ぐと、そこは、もぬけの殻。

以後、大九郎とおちかは毎夜、小平次の亡霊に悩まされると言う所でお終い。何とも酷い話の怪談話。まぁ、昔から現在まで似たような犯罪は尽きる事無し。

拍手喝采👏のうちに幕が降りて終了。中々、面白かった。下駄箱で靴を出して寄席の外。次は浅草演芸ホール

灼熱の暑さの午後過ぎ。地下鉄銀座線御徒町駅から田原町駅に向かうたぬき親父でした。