ふれーゆ裏たぬきのトリック仕掛釣り日記

横浜港奥の『昼間は釣れないふれーゆ裏』での夕まずめ釣りをメインに1年中、アジ嬢を追いかけまわしております。

たぬき親父の修善寺物語・前編^ ^(竿休め20220223)

寒い2月😨はサカナも冬眠の為、2回目の温泉三昧で、伊豆修善寺温泉♨️に湯治。快晴の中、出発する事になりました。

f:id:tanukifureiyu:20220226064930j:plain

前回は、東急不動産株主優待券を使って、東急ハーベスト箱根甲子園に宿泊。会員制リゾートホテルだからサービスも満点。

今回は、伊豆修善寺温泉にある、桂川ホテル。元々、団体客用の老舗ホテルが経営難で閉館。

共立リゾート傘下になり、2021年1月にリニューアルオープンしたホテル。星野リゾート、共立リゾート、大江戸温泉、伊東園などの企業が同様の手法で事業拡大中。

宿泊料金は伊東園〉大江戸温泉〉共立リゾート〉星野リゾートの順番。食事や接客レベルも同様。(個人的な見解^ ^)

f:id:tanukifureiyu:20220226071952j:plain

今回の桂川ホテルも、株主優待券を利用。宿泊料金は一泊二日朝夕食込みで、大体ですが、1.4諭吉ぐらいの金額。

株主優待券を利用すると、9英世と格安で宿泊出来る有り難い宿。キャッチコピーが「湯巡りの宿」で無料家族風呂が7ヶ所。

勿論、大浴場もあるし、夜食に無料サービスの夜鳴きそばもある、コスパにも優れたお宿となっております。

修善寺は若かりし頃に、社員旅行で宿泊して以来、泊まった事が無い場所。いつもは、隣の長岡温泉♨️を毎年利用。

社員旅行で宿泊した宿は、修善寺温泉の、みゆき橋たもとにあった、ホテルみゆき。ここは、かなり前に廃業。現在は駐車場に。

1970年代、熱海温泉後楽園ホテル、伊東温泉ハトヤホテル聚楽と同様に連日TVコマーシャルを流していました。

修善寺行くなら、決めた!ホテルは、みゆき、みゆき。ホテルは、みゆき、み、ゆ、きと言うコマーシャル。歌は故・CM女王の天地総子さん。

たぬき親父が小学生だった頃、たぬきは半ズボンで、親父はステテコだった。猫ザルさんなら、わかるかなぁ〜、わかんねぇだろうなぁ〜、ぐらい、遠い昔々のお話^ ^

社員旅行と言う、福利厚生が廃止。昭和の同じ釜の飯を食い、飲む&裸の付き合う文化は消滅。

仲間同士、家族同士の宿に経営をシフト出来なかった、ネット予約や、ニーズを先取り出来なかったなど理由は様々。

そもそも、良い宿の定義ってなんでしょうねェ?正直、たぬき親父は、美味い、安い、お風呂が綺麗ぐらいなら、文句無し。

たぬき親父は学生時代にソロ・バイクツーリング🏍で寝袋持参でウロウロ。無人駅、屋根付きバス停やガソリンスタンドが宿。

風呂に入りたい時は、ユースホステルかビジネスホテル。宿にはあまり、こだわりがない^ ^

そもそも、20〜40代は日本全国、韓国、台湾と年間100泊以上のビジネスホテル住まいを繰り返していたので。

但し、今は、かみさんと出掛けるので、此方の好みを優先。色んな所に宿泊するけど、かみさんの基準は5S(ドSではない^ ^)

QC用語で、「整理、整頓、清掃、清潔、躾」の事。旅館&ホテルに当て嵌めると、整理、整頓、清掃、清潔は当たり前。

更に「躾=従業員教育」、追加で「サービス」、「リーズナブル」、「食事」、「温泉」、「立地」が良ければ客が客を呼ぶ。

じゃあ、この基準を満たす旅館、ホテルは?で探すと中々、選出が難しい。因みに「リーズナブル」では2.5諭吉以内がたぬき基準。

それ以上の旅館&ホテルは、これらを満たしていて当然。1諭吉以下の旅館&ホテルは、何処かを犠牲にして運営してる所が多い。

もちろん、そうじゃない旅館&ホテルもあり、見つけられたらラッキー^ ^もう、常宿決定だね。中々の希少物件。

外装&内装が古い、汚い。清潔感がない、清掃が投げやり。従業員がダラダラしているし、やる気が無い等。当然、食事も不味い。

全てを網羅していたら、誰も寄りつかない旅館&ホテル。旅館&ホテル業はマジで厳しくて難しい業界。

f:id:tanukifureiyu:20220226065159j:plain

前置きが長くなりましたが、2/23(水)祝日の朝は快晴。さっさと用意をして出発。最寄りの駅から横浜駅に。

今年は冷え込みが強いらしく、伊豆の河津桜も、2〜3分咲き程度らしい。海水温も、下限値10,5℃のまんま。

雲ひとつない快晴にも関わらず、風は冷たいまんま。横浜駅到着後、まずは駅弁を買いに横浜そごうに。

f:id:tanukifureiyu:20220226065230j:plain

たぬき親父は、定番のシュウマイ弁当。かみさんは、穴子寿司弁当。そごう外の駅地下街のコンビニでお茶を購入。

f:id:tanukifureiyu:20220226065329j:plain

東海道線ホームに入り、特急踊り子9号待ち。祝日快晴とあって、横浜駅は、そこそこの混雑。

f:id:tanukifureiyu:20220226065408j:plain

踊り子号はガラガラ。茅ヶ崎をすぎると、まだ雪化粧の富士山🗻がくっきり。この電車は在来線線路を走るので、ガタガタと揺れが。

車両も内装は綺麗だけど、古い車両なのかも知れませんね。踊り子号は廃車にするか?議論されてましたが、今年も運行されてます。

自由席は無くなり、現在は全席指定席での運行となってます。電車はクルマと違って飲み食い出来るし居眠りも出来るので楽ちん。

小田原駅到着は11:30と意外と早い。やはり、クルマより楽ちん。眠くなれば眠れるし、ビール🍺だって飲めちゃうし。

11:54熱海駅到着。ここで、列車は切り離し。前側1〜9号車は伊豆下田行き。10〜14号車は、修善寺行き。

f:id:tanukifureiyu:20220226065454j:plain

f:id:tanukifureiyu:20220226065529j:plain

12:39に修善寺駅到着。駅弁は食べたものの、なんか食べようと言う事で、狩野川を渡った先にある、魚屋直営店すぎ屋に。

f:id:tanukifureiyu:20220226072144j:plain f:id:tanukifureiyu:20220226072157j:plain

店舗前に行くと、「コロ助の為、休業中」の張り紙が。残念!諦めて修善寺駅に逆戻り。

修善寺温泉♨️行きバス🚌に乗り込み、最終の修善寺温泉で下車。このバスは1世代ぐらい前の旧式バス。

エンジンからは異音がするし、サスペンションは板バネで、軋んでガタガタ。スイカも、利用不可で現金清算のみ。

バスのギアチェンジも床から生えてる長いフロアシフト方式。バスの形式も清算方式も、今は劇的に進化してるけど、ここは昭和のまんまだなぁ。

修善寺駅もスイカが使えず、三島から修善寺間は現金清算清算チケットを貰い、後日、JR駅で清算

三島〜修善寺間は伊豆箱根鉄道西武鉄道子会社。バスも西武。伊豆急は東急。競って伊豆に投資。でも今は赤字路線。

f:id:tanukifureiyu:20220226065618j:plain

宿のチェックインは、15:00からなので、修善寺温泉をぶらぶらと観光。桂川沿いの狭い道路を歩いて行くと、左手に日枝神社、その先が開けて修禅寺

f:id:tanukifureiyu:20220226065641j:plain

先ずは修禅寺前の桂川河原にある、独鈷の湯を見学。修禅寺を開いた、開祖空海弘法大師)が発見した温泉らしい。

ある日、空海は河原で年老いた親を川の水で洗う孝行息子を発見。川の水は冷たいだろう?と言う事で手に持った独鈷杵で河原の岩をポポポ、ポ〜ン^ ^

すると、岩の裂け目から、温泉♨️が噴出したそうな。ウ〜ン?養老の滝??の温泉バージョンみたいな逸話。

20数年前に、修善寺社員旅行で来た際には、混浴で入浴も可能な温泉でした。現在よりも少し上流にあったそうです。

河川整備で河原が広い川下に移動。また、この温泉は周りから丸見えな事もあり、法的な温泉要件を満たないと言う事で、現在は入浴禁止となっています。

f:id:tanukifureiyu:20220226065713j:plain

修禅寺にお参り。空海弘法大師真言宗は、たぬき親父の菩提寺でもあります。祖先は、うだつが上がらない半農武士。

f:id:tanukifureiyu:20220226065742j:plain

真言宗は私(わたくし)、私利私欲の争いを禁ずる傍で、大義(正義^ ^)の為なら、何でもありあり。

f:id:tanukifureiyu:20220226065806j:plain

信ずる者は極楽浄土に、「いらっしゃい」と言う、一所懸命な武士には、実に有り難い!画期的な宗教だったようです。

f:id:tanukifureiyu:20220226065836j:plain

そんな訳で、修禅寺を訪問。ついでに、宝物殿を見学。源頼朝の長男で、若干18歳で鎌倉幕府2代将軍に就任した源頼家終焉の地としても有名。

丁度、某ぼっ◯くり元国営放送大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では、鎌倉幕府の成立から、源家が3代目で滅亡から、鎌倉幕府を牛耳る北条に出た追討令を木っ端微塵に打ち砕いた承久の乱までを描くらしい。

f:id:tanukifureiyu:20220226065935j:plain

源頼朝は苦心惨憺して鎌倉幕府を成立させた人物だけど、平家討伐に活躍した木曽義仲や腹違いの弟、源義経を討伐。

その後も謀叛の疑いをかけて範頼を修禅寺に幽閉、誅殺としていて、「冷酷な政治家」として人気が無い歴史上の人物。

f:id:tanukifureiyu:20220226065951j:plain

その頼朝が死去した時、長男頼家は18歳。容姿端麗、文武には優れるものの、所詮は苦労知らずの、お坊ちゃま。

当然、御家人同士の争いごとや、阿吽の呼吸やら危機感は読めず、独断と比企一族の贔屓目で一所懸命な揉め事を対処。

結果、鎌倉御家人からの不平不満が爆発。比企一族追討暴発寸前。北条一族らは13名の合議制を引き頼家から決裁権を剥奪。

プライドだけは富士山よりも高い頼家。比企一族も加勢して敵対する北条一族追討を画策して会合を開く。

すると、お約束の如く、裏切り者が出て来るのは世の習い。その日のうちに、北条一族に密告(笑)されてバレバレ。

当日夜に、北条は比企棟梁を、「ご馳走するゼェ、お坊ちゃまが世話をかけて悪いなぁ〜」と呼び出し。

まさか当日のウチに計画バレバレとは露とも思っていない比企は、ほいほいと出向いて、あっさりと、バチこりされてしまいました。

同時に軍勢を率いて、比企一族郎党を殲滅してしまい、加担した頼家は伊豆修禅寺島流し、幽閉されてしまいました。

とは言え、また、良からぬ輩が頼家を神輿に担いで鎌倉幕府に楯突いて来るのは歴史が繰り返すトラウマの様なもの。

しかし、お坊ちゃまと言えども、文武両道に優れた頼家は一騎当千のツワモノ。そこで、北条方暗殺部隊は風呂に入った頼家を、バチこりする事に。

それでも、風呂場で奇襲を受けた頼家は、手負いを追いながらも獅子奮迅の戦い。最後はイノシシを捉えるようにクビに縄をかけて引き倒して、槍でキン◯マをバチこり。

当時は数え歳なので、現代に改めると享年僅か21歳と言う若さで、笑点、いや昇天。何ともお気の毒様。

その後、当時、12歳の子供だった次男の実朝を傀儡政権の3代目征夷大将軍に祭り上げて、めでたし、めでたし。

北条一族は、北条政子の弟、義時が実権を握り、次々と反対勢力を粛清。その後の北条氏による独裁執権政治の基礎を築いて行く。

f:id:tanukifureiyu:20220226070056j:plain

しかし、実朝も成人。段々と自分が置かれたお飾り境遇に不平不満を募らせていったらしい。しかし、北条氏の権力は絶大。

自らの境遇は諦めるしか無い。そこで、朝廷に嘆願して、せめて官位だけでも上級職に就きたいと嘆願。右大臣を襲名。

f:id:tanukifureiyu:20220226070123j:plain

その襲名披露の為、鶴岡八幡宮に参拝。大銀杏の大木前を通りかかったところ、頼家長男の公暁一味に待ち伏せされて、護衛共々、バチこりされてしまいました。享年26歳。

公暁一味も北条一族に追い詰められて、バチこりされて壊滅。ここに源頼朝以来の河内源氏の血脈は消滅。

朝廷の後白河上皇は「コレは潜在一隅のチャンス^ ^鎌倉幕府を壊滅させて政権復帰を果たすぞ!」と北条一族追討令を発令。

これに乗っかった西国武士を中心に、今日の都内外の鎌倉幕府御家人を次々と殲滅。まさに「我は官軍。恐れ多くも上皇に弓引く北条一族は賊軍。バチこりするぞ!」

焦って慌てふためく鎌倉幕府。そこで、天下の尼将軍北条政子が鎌倉御家人を一同に集めて大演説。

f:id:tanukifureiyu:20220226072248j:plain

「故源頼朝公が、おまえらの一所懸命の土地利権を天皇家&クサレ貴族から取り戻したご恩は山よりも高く海よりも深い、では、そのご恩に報いる時はいつか?今でしょう!立て御家人御家人よ立て!今こそ今日の都に攻め登り、奴らを、バチこりしてやるのだ!ジーク!KAMAKULA」

結局、平安時代の貴族荘園時代に逆戻りして、所領取り上げられて、貴族の護衛任務に逆戻りは嫌!と鎌倉武士は一気団結。

元々、精鋭揃いの鎌倉武士団。西国に向けて3方から進撃開始。破竹の勢いで上皇に加担する西国武士をバチこり。

当然、西国武士団にも「これって、ヤバいんじゃね?」と戦わずして降参又は味方に寝返り。東方からも続々と増援。

数万騎に膨れ上がった鎌倉武士団に後鳥羽上皇は、びっくり仰天。そして、あっさりと降参。島流しに。官軍を打ち破り、江戸時代に至るまで武士政権を樹立した「承久の乱」の顛末。

と言う、学校では詳しく教えない日本史。親子兄弟親戚もクソも無いドロッどろの人間模様が背景にあり実際の歴史は面白い。

話が大きく逸脱してしまいました。修禅寺を参拝して、お守りを購入。売店トイ面にある宝物殿を見学。

館内は撮影禁止の為、撮影は出来ません。二代将軍源頼家肖像画掛軸や螺鈿細工の乗馬鞍やあぶみなどが展示。

f:id:tanukifureiyu:20220226070255j:plain

三代将軍源実朝肖像画掛軸も。そして、展示物の目玉、古い木彫りの不気味なお面。

このお面には謂れがあり、源頼家修禅寺に幽閉されていた際、北条方付け人に騙されてウルシ風呂にブチこまれたそうな。(散々だな2代目)

当然、ウルシ毒にやられて、全身が真っ赤にただれて腫れあがる惨状に。憤慨した頼家が面作りの職人を呼び寄せて、ただれた顔を模写して面を作らせて、母親である北条政子に送り届けさせたんだとか。

f:id:tanukifureiyu:20220226070504j:plain

この面と逸話を元に出来たのが、小説「修善寺物語」で、歌舞伎の演目にもなったり、過去には映画化もされた作品。

あらすじは、源頼家修禅寺に幽閉された後に、能面彫師を呼び寄せて、自分の顔を模写させて、面を彫らせた。

しかし、彫師は何度か面を製作しても、生気がない死人の面しか彫れず納品する事が出来ない。

あまりに納品が遅い事に痺れを切らした頼家は彫師を呼び寄せて手打ちにする事に。それを止めに入ったのが彫師の娘。

結局、死人顔の面で良いと頼家は受取り納得して事が収まる。また、彫師の娘を妾に迎える事に。

彫師は娘を止めたが甲斐性がない男より、源頼朝の嫡男頼家の妾になる事を熱望。願いが叶い幸せな日々を過ごす。

しかし、長くは続かずに、鎌倉幕府北条一族の刺客が頼家を襲撃。彫師の娘も武器を手に立ちまわるものの、多勢に無勢。

頼家は討死。娘も瀕死の重傷。駆けつけた彫師は、頼家の面を幾度、彫っても死人顔になる事をこの惨状で納得。

瀕死の娘の顔を筆を持ち、紙に書き写す狂気の沙汰で物語は終了。なんか、最後は芥川龍之介の地獄編みたいな結末。

f:id:tanukifureiyu:20220226070559j:plain

宝物館の外に出て、隣にある日枝神社に参拝。ここには、御神木の夫婦杉が。隣接した杉の木が巨木となり、根元が一体化した物。

f:id:tanukifureiyu:20220226070632j:plain

樹齢は800年以上なんだとか。夫婦円満、子宝にも恵まれると人気らしくて、パワースポットにもなっている場所。

14:30になったので、本日の宿、桂川ホテルに向かう事に。途中、八百屋で甘夏「はっさく」が5個200円の格安価格で販売していたので、みかん、柚子と一緒に購入。

f:id:tanukifureiyu:20220226070725j:plain

みゆき橋を渡り、今は駐車場になっている、ホテルみゆき前を左手に曲がると、本日の宿桂川ホテルに到着しました。

さて、長くなってしまいましたので、今回は、前編、中編、後編と引っ張りまくって、お送りさせていただきます。中編をお楽しみにお待ち下さいませ。