ふれーゆ裏たぬきのトリック仕掛釣り日記

横浜港奥の『昼間は釣れないふれーゆ裏』での夕まずめ釣りをメインに1年中、アジ嬢を追いかけまわしております。

目黒雅叙園の百段階段を見てきました^ ^(竿休め20210627)

結婚記念日の4月末に目黒雅叙園でビュッフェランチを楽しんで来ましたが、東京都は、キジ(緊急事態宣言)が乱舞していた為、百段階段は閉鎖。見学が出来ない状態でした。

オリパラゴリ押しの為?6月になってキジ→マンボウ(蔓延防止策)に変わり、百段階段も公開開始。

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事前に見学チケットを入手していたので無駄にならずに済みました。と言うわけで釣りの翌々6/27(日)に自宅を出発。

かみさんはカビ臭い老朽建築やら彫刻には興味無し!なので、本日は、たぬき親父単独で行動。

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電車を乗り継いでJR目黒駅に到着。ランチは近所にある老舗のトンカツ屋に入る事に。中々の人気店らしく、そこそこの入り。

美味いトンカツは脂身が甘くて美味い。目黒駅周辺には、開拓すれば美味しそうな飲食店が、まだまだあるかも。

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目黒川に向かう坂道を下ると5分位で目黒雅叙園に到着。ホテルの看板前では修学旅行生が記念写真を撮ってました。

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マンボウになったから、修学旅行も再開したのかなぁ?館内に入った左手が百段階段(旧木造造りの本館になります)

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百段階段に行く為には、ここから専用エレベーターに乗り最上階の3階に。エレベーターはロープ式では無くて油圧式。

現在ではほとんどのエレベーターが電動モーターを利用したロープ式。油圧式は構造が簡単でトルクがあり、振動が少ないメリットがあるけど昇降速度が遅いデメリットが。

まぁ、そんな事はどうでも良いよね。エレベーターと言えば会社の地方にある古い支店のエレベーターで想い出が。

降りる時に大人数で乗ると下降時の速度が速く、フロア停止時のガタ〜ン!と衝撃が大きい。また上昇時の速度が遅いとうわさが。

そんな風に脅かされていると、そんな馬鹿な〜と思っていても、そうかも?と乗る度に気になり出張時には階段利用の健康派になっていました。

横道に逸れました。さて、目黒雅叙園のこのエレベーター内部は豪華絢爛で壁も天井も、螺鈿細工がびっしり。万年筆で螺鈿細工付きものですら数万円からだから、部屋全体では?

3階でエレベーターを降りてエントランスに出ると靴を脱いで下駄箱に。先に進むと受付に到着。入場券を手渡し。(web購入可)

検温、消毒してから、左手の百段階段に。因みに奥が売店になっていて、写真集やら記念品、お菓子等の販売フロアになっています。

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百段階段は丘陵地に沿うように建設されている旧目黒雅叙園本館。窓から外を見ると、木造造りの建物を見る事が出来ます。

下から見ていくのは面倒なので、先ずは階段を登り切って最上階に。上から順々に降りながら見学して行く事にしました。

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名称は百段階段ですが実際は99段。月は満ちると欠けるとか、完全な物はやがて衰退を招くとかの験担ぎらしい。

日光東照宮の陽明門にも一部に逆さ柱があり、ワザと完全を嫌った験担ぎがあるのでトレンドだったのかも知れませんね。

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百段階段には7つの間が現存していて、東京都重要文化財に指定されています。建造は昭和10年で広間を彩る絵画や彫刻、装飾は戦時中も費用と手間をかけて継続されたらしい。

画家、絵師、彫刻家、大工やら助手やらを女中、まかないも含めて昼夜、徹底してサポートしたんだとか。

そこで大きな疑問が。潤滑な費用やら食材やら人件費はどうしたんだろう?鍋釜まで戦時供出されてる異常なご時世。

贅沢は敵だの統制下の首都で何故?こんな事が可能だったのか?また、終戦間近の東京で爆撃被害は受けなかったのか?

目黒雅叙園は戦時中、陸軍指定病院分院として登録されていた為、米軍の爆撃目標からは除外されていたんだとか。

陸軍将校も頻繁に出入りして宿泊やら宴会やら。そうなると食糧も費用も問題無し。なるほどね。

でも、全く被害無しでも無く、隣接地への爆撃で、一部の建屋が吹き飛んだり消失した事もあったらしい。

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名残りが部屋への渡り階段だけが残されて行き止まりになっている場所が百段階段にも残されていました。

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さて、最上階から見学。最上階だけに広間の周りの回廊部外側の窓からは外側の景色が良く見えて、本館が丘陵地に沿うように建築された様子が見えます。

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ここは頂上の間。部屋は落ち着いたシブい造りで部屋の柱は柿の古木が黒光り。天井も、当時としては高い造りで風景画が描かれています。

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次の清方の間の柱は北山杉。天井には屏風に見立てた美人画の絵画や四季の絵画が描かれていて、敷居の拵えも見事な出来映え。

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次の星光の間も清方の間と同じ様な造り。障子や欄間の造りが渋い。天井画は四季の草花の絵画。

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静水、草丘の間は秋田杉がふんだんに使われていて、静水の天井画は鳳凰舞鶴、草丘は四季の草花。

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漁樵の間は百段階段中、最も豪華絢爛な造りで、床柱は檜巨木。びっしりと極彩色に塗り上げられた彫刻が施されていて、正面から彫られている人物の顔を見ていると、動き出す様な?

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室内は全て金箔、金泥、金砂をふんだんに使って仕上げていて木彫りも極彩色。さすが、昭和の竜宮城と言われるだけの事はあるな。

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最後の十畝の間は欄間やらの装飾が黒漆で螺鈿細工がふんだんに施されている間。天井画は花鳥風月。

百段階段を降りると売店。写真集やらお菓子、螺鈿細工の箸やらが販売されていました。当日も海外からの観光客ゼロ。

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本来ならばオリパラ開催に向かい、ホテルも大忙しなんだろうけど、無観客も検討されてるし地方からの観光客も見込めないから寒い夏になりそう。

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廻り疲れたのでホテル内のカフェテリアで休憩。外で食事するよりも割高なのはご愛嬌。ケチって国産コマセを買わずに中国コマセを買う、たぬき親父なのにね〜^ ^

帰りは無料送迎バスに乗り込み目黒駅に。電車を乗り継ぎ、狭い我が家に帰宅しました。

東京も横浜もあちこちに歴史的な建造物やら名所旧跡があるので散歩には良い場所。サカナが釣れない時には、あちこち散策も良いかもね。