ふれーゆ裏たぬきのトリック仕掛釣り日記

横浜港奥の『昼間は釣れないふれーゆ裏』での夕まずめ釣りをメインに1年中、アジ嬢を追いかけまわしております。

暑気払いの鰻蒲焼を食べて寄席通い^ ^(不貞腐れて竿休め20220720)

翌日の7/20(水)も有給休暇取得の夏休み。今日は、かみさんを連れて、東京日本橋で鰻蒲焼を食べて浅草演芸ホールに行く予定。

最寄駅から横浜駅乗換えの東海道線で、日本橋いずもやに。10:40ごろに到着。店の前には行列。数えると丁度、10名。

いずもやは、平日ランチ時に先着10名限定で、鰻重葵5720円を3300円で提供。この為、行列していると言うわけ。

ギリで鰻重ゲットならず。仕方ないから、おかんむりの、かみさんには、鰻重松、こちらは鰻重竹を注文。

葵は大ぶりの国産鰻が1.5匹分。松で1匹分、竹は小ぶりの国産鰻が0.75匹分。いずもやの鰻は柔らかく蒸してあって、小骨が気にならない。

ふわふわとした、舌触りで溶ける感じ。スーパーの本場中国産鰻のような、噛みごたえと甘ったるいタレの感じが無い。

あっさりとしていて、柔らかくて、舌触りが良い。噛みごたえがある、うなぎを食べてると物足りないかも?

これだけ柔らかいのに、串を抜いた後が崩れていないのは職人技。やはり、鰻を食べるなら、名店揃いの日本橋^ ^

お腹も一杯になり、浅草演芸ホールも午後の部は16:30からなので、近くにある千疋屋を覗いてから日本橋三越に移動。

買い物をしていると、三越外商部の人が、短パン、ポロシャツの中年親父の荷物を持ち、売り場を案内していました。

何処のデパートでも、注意深く見ていると、良く見かける光景。外商部の人が金製品売り場案内していました^ ^

かみさんの買い物に付き合い、三越食堂に入り、抹茶かき氷を注文。かき氷の上に抹茶アイスがドン!更に金粉が(笑)

日本橋三越の食堂には小さい頃に良く連れてきてもらいました。テーブルや椅子は違うけど、雰囲気は当時のまんま。

抹茶アイスを別皿に落として、かき氷を食べてから、アイスを完食しました。もう、暑さはぶっ飛び。財布も軽い。

地下鉄銀座線に乗り、田原町駅下車。涼しければ、仲見世通りとか、浅草寺お参りとか、するんだろうけど浅草ROX(デパート)に入り買い物。

1階のサンマルクカフェに入り、アイスコーヒーを飲みながら暇つぶし。

浅草演芸ホール前に行くと入場待ちの行列が出来ていました。入場開始になっているようで、少しずつ列が動いています。

木戸銭売り場にかは名物の看板ネコが座っていました。最前列2番目の中央に席を取る事が出来ました。

幕が開き、講談師の前座で、今年、二ツ目に昇進する、神田松麻呂で開演。読み物は「宮本武蔵伝 熱湯風呂」

講談の宮本武蔵は、かなりフィクションやら脚色が加えられていて、史実の宮本武蔵とはかけ離れた別物。

吉川英治宮本武蔵も、存在しない、武蔵の恋人おつうが出て来たり、親友の又八やら師匠の沢庵和尚など創作部分が満載。

もっとも、武蔵の弟子が残した、京都の剣術指南役吉川一門との戦いもフィクションらしいので、何とも言えないけど。

講談の宮本武蔵伝は、妻帯していて江戸住まいの旗本。義理の父親は町道場の有名な道場主だが病の床に。

九州の巌流佐々木小次郎は江戸でひと旗ある為、師範代2名を送り込み道場を開設。近隣に腕前が広まり、瞬く間に多くの門人を要する一大道場に変貌。

そして、義理の父親道場に試合を申入れるが、病を理由に断られた事を臆病風に吹かれた卑怯者よと吹聴。これに恥じた義理の父親は自害。

憤慨した武蔵は相手道場に乗り込み、佐々木小次郎^_^の師範代を完膚無きまでに叩きのめす。師範代が負けた道場は閉鎖。

負けた師範は武蔵に闇討ちを仕掛けるが返り討ちに。そして武蔵は義理の父親の仇、巌流佐々木小次郎を討ち果たす為、九州に向けて単身、旅立つと言うもの。

熱湯風呂は、九州にか向かう途中のエピソードのひとつ。結構、ふんだんに笑わせる要素を含んだ講談話になっています。

路銀を使い果たした武蔵は腹ペコ。どこかの道場に行き他流試合を申し込めば、饗応に預かれる。

しかし、自分が宮本武蔵と名乗れば、名声は世間に轟いているので、相手に気を使わせるし、長逗留になるのは避けたい。

宿場町外れの道場に偽名を名乗って、他流試合を申し込む事にした武蔵。名乗った偽名は宮田竹蔵。

道場主は不遜な態度で出迎えするが、弟子と宮田某の受け答えを聞いていると中々の武芸者に聞こえる。

エセ武芸者かどうか、見極める為、師範代を数名、立ち合わせるが、武蔵の竹刀さえ触れる事が出来ず、全く歯が立たない有様。

道場主自らが、竹刀を手に取り、立ち会う事に。道場主は「まだ、そこもとは手を抜いていて、本気を出していないとみえる云々」

腹ペコで限界に近い武蔵は、さっさと決着をつけようと二刀を構える。道場主を歯牙にもかけずに打ち据える。

宮本武蔵と正体が露見。下にも置かずに饗応三昧で、あと1日と長逗留。道場主が武蔵を引き止めるのには訳があり、実は江戸で武蔵を闇討ちして返り討ちにあったのは、道場主の義理の兄。したがって武蔵は仇。

まともに立ち会っては、何人束になって掛かっても返り討ち。そこで、風呂を改築したお披露目に武蔵に入って貰おうと画策。

風呂に入れれば、寸鉄も持ち込む事も叶わず、閉じ込めて風呂の湯を熱湯にして、煮殺してしまおうと言う企み。

武蔵を湯殿に入れて入口を釘どめ。風呂の湯は熱湯に。湯気も高温になり、湯殿内部は蒸し風呂状態。

武蔵の気配がしなくなった頃合いを見て戸口を開くと武蔵が真っ赤になりのびている。ところが武蔵は死んだフリ。

「真っ赤に茹って死んでいるではないか」と道場主は高笑い。武蔵はむっくり起き上がり、道場主を掴み湯船の中にドブンと投げ込み落とす。

続いて数名の師範代が斬りかかってくるが、逆に刀を取り上げて、湯船に突き落とすと、他の門弟は一目散に逃げていく。

武蔵は体中に大火傷。しかし、講談なので?否!鍛えているので^ ^、大事になる事はなかった。再び武者修行の旅に。

もう、講談の武蔵は滅茶苦茶だけど、これはこれで面白い。

次の出番は、落語家二ツ目の昔昔亭喜太郎で、古典落語の元犬🐕。これも結構、有名は落語噺。

八幡様の境内に捨てられて育った、捨て犬のシロは賢い犬。参拝する客から食べ物を貰い生き延びてきた。

優しくしてくれる人間を見て、自分も人間になりたいと八幡様に願掛けする。落語だから^ ^その願いを八幡様が叶えてくれて人間に。

喜んで裸のまんま、境内を走り廻っていたシロをお参りに来た口入れ屋(江戸時代の派遣会社の社長^ ^)の旦那が諌めて連れ帰る。

ご贔屓筋のご隠居が、面白い話し相手になる小間使いを探していたので、此方の家に派遣する事に。

名前を聞くとシロ?シロでは犬みたいなので四郎吉に。生まれを聞くと、八幡様のゴミ捨て場。

父親は?と聞くと自分が生まれる前に行方知れず。母親は?と聞くと住所不定の男(オス犬🐕)と行方知れず。

可哀想な身の上だと勘違いした旦那は、四郎助の身なりを整えて、ご隠居宅に派遣。元犬のシロが騒動を巻き起こす噺。

昨日は違う噺を聞いたけど、この昔昔亭喜太郎に元犬の噺は合っている噺。愛嬌がある噺家だから、与太郎ネタがウケそう。

次は、春風亭かけ橋。此方も古典落語権助魚を熱演。やはり、二ツ目になったばかりだし、まだまだ上手くはない。

大店商家の旦那に妾がいるんじゃないか?と疑う女将さん。下働きの権助に小遣いを渡して買収。

旦那のお供をして、妾宅を突き止めるように言い聞かせて送り出す。ところが、普段と様子が違う権助に気付いた旦那。

女将さんの倍の金額で権助を買収。女将さんの企みを聞き出して、権助に一計を授ける事にする。

橋のたもとでお得意様と出くわした旦那様は、立ち話で商談がまとまり、お得意様と新橋の料亭に。芸者を上げてどんちゃん騒ぎ。

その後、天気が良いので、海に小船を出して網打ち遊びに。サカナも取れたので、権助に授けて、お得意様と湯河原に行ったと。

話の裏付けの為、カネを与えて帰りに魚屋で網取り魚🐟を適当に見繕って土産に持って帰るように指示して妾宅に急ぐ旦那。

それを見送った権助は、直ぐに魚河岸の魚屋に。山奥育ちで海の魚を知らない権助は、魚屋に網取り魚🐟を買いたいと告げる。

魚屋は、ここの魚はみんな網取り魚だと権助に告げる。購入した魚はスケトウダラ、ニシン、メザシ、茹でたタコ🐙そしてカマボコ。

急いで大店商家に帰り、女将さんに旦那様に妾はおらず、今日は湯河原に行ったと報告。

女将さんは激怒。権助が旦那と店を出てから半刻ぐらいしか時間が経過していない、そんな短い時間で新橋で芸者を上げて海で網打ちなんて有り得ないと権助を詰問。

権助はしどろもどろ。でも、網取り魚🐟の証拠があると、女将さんに魚🐟を披露。しかし、見せた魚を見て女将さんは激怒。

オチは、女将さんに「こんな魚、関東一円で取れやしないんだよ!」と言われた権助は、「一円じゃねぇ。二円で旦那様に頼まれた」

噺が単純な噺なだけに、演じる落語家の力量がモロに出てしまう噺。正直な話、かけ橋では、まだまだ役不足。頑張れ!かけ橋^ ^

真打ちの噺家で昔昔亭桃之助。噺は昨日と同じなので省略^ ^で、次は色物のコントD51の漫才。

たぬき親父が大学時代、寄席に行った時から出ているベテラン漫才師コンビ。お婆さんとイベント管理会社の監視員(お爺さん)との、掛け合い漫才は鉄板ネタ。

次が落語家の真打ち、古今亭今助。クイズマニアでテレビ朝日の「アタック25」に一般申込みで出場した事もある落語家。

新作、創作落語が得意で、今日の噺も「彼女がくノ一(女忍者)だったら」と言うモノでした。座布団から飛び上がったり、走り廻ったり、カタチにとらわれない落語家。

次は古典落語の真打ち、桂小南。噺は「鋳掛屋」で、たぬき親父世代でギリ知っている職業かな。

小さい頃に鍋釜修理、包丁やハサミ研ぎをするフリーの職人さん。鍋釜がまだ高価で買い替えをせずに修理依頼していた頃の噺。

鋳掛屋、次に出て来るのが鰻屋で、ヒマな近所の悪ガキ達に悩まされながら、黙々と仕事をする下町噺。

この噺家さんも、芸達者で上手い噺家さんで好きなタイプです。

次が音曲の桂小すみ姐さんで、三味線、尺八からピアノまで、何でもそつなくこなす、絶対音感の才媛。

今日は三味線の演奏で自信が作詞、作曲した、「カレー🍛の唄」を披露。大爆笑、拍手喝采

そして、中入り前の〆で神田伯山が登場。読み物は「忠臣蔵外伝 徂徠豆腐」。講談読み物と落語にもあるネタ。

徂徠(そらい)は人名で、本名は萩生茂卿(はぎおしげのり)で字名が徂徠。江戸時代の儒学者。(現代の哲学者)

父親は将軍徳川綱吉公の御典医だったが、綱吉公の怒りをかい、江戸から放逐されてしまい蟄居。

母親の故郷、現在の千葉県茂原市で育つ。父親の蟄居がとけて江戸に帰参。芝増上寺近くに私塾を開くが弟子が集まらず極貧生活。

食事にも不自由していた所を豆腐屋に助けられたと言う逸話を講談にした読み物。豆腐の代金が払えない徂徠に惚れ込んだ豆腐屋が、冷奴やおからを届けて支える。

ところが豆腐屋が病で寝込み、回復した5日後に徂徠宅を訪ねると外には空家のフダ。

途方に暮れて帰宅。その夜、隣家から火が出て豆腐屋は全焼。豆腐屋夫婦は着の身着のままで焼け出されて、友人宅に居候。

数日後、居候宅に大工棟梁と名乗る者が来て、豆腐屋夫婦に、さる方から頼まれた、と小判10両を手渡し。

来年早々には、建て直し中の豆腐屋が完成するので待っていてくれと言い残して去って行く。10両を貰ういわれもなく当惑する夫婦。

年が明けて数日後に、また大工棟梁が現れる。さる人を連れて来たと言う。現れたのは、紋付袴、大小を腰に挿した武士。

これが徂徠。豆腐屋夫婦は徂徠の無事を喜び、経緯を聞くと豆腐屋が寝込んでから数日後に老中、柳沢吉保に呼び出され150石で召し抱えられた。

先に渡した10両は豆腐の代金で、さらに10両と新築した豆腐屋は、おからの代金だと言い、豆腐屋夫婦は大喜び、

ちなみにその後、徂徠は5代将軍綱吉公にも謁見を許される身分に出世。年俸も150石から500石に。

150石は現在の貨幣価値で約1500諭吉。500石なら約5000諭吉くらいの大出世を果たした人物。

その後、豆腐屋は上野寛永寺ご用達となり、大繁盛。豆腐は徂徠豆腐と呼ばれて、そのまま食べると出世すると言われたとか。

萩尾徂徠の豆腐話が、なんで赤穂義士と結びつくのかと言えば、柳沢吉保から赤穂義士の処分について意見を聞かれた徂徠が、武士として切腹させるよう答えたかららしい。

幕府に届け出も無く、許可も受けず、幕府が取り決めた、ご政導に背き武器を携え、吉良上野介宅に討ち入りし事、不届き千万。

これについては、法に則り、厳罰に処すべしであり、断罪を持って処分止む無し。赤穂浪士の行動は、同情の憐れみを禁じ得ないものの法は法。

天下の法を曲げることは出来ない。桜の花のように潔く散らせてやるのが武士の情け。で尊厳ある死、切腹となった次第。

赤穂浪士討ち入り事件を聞いた大名にも、様々な意見があった様子。薩摩藩島津では「赤穂浪士は臆病者よ。なぜ、泉岳寺浅野内匠頭墓前で腹を切らないのか?」

幕府は、問答無用で赤穂浪士全てを打ち首の上、刑場に晒し首となる事も十分に考えられたからだろう。

何しろ、主君の仇討ちなど認められないし、浅野内匠頭切腹の沙汰も吉良上野介では無く幕府が決めた事。

赤穂浪士の仇討ちの正当性は皆無なんだから、仕方ない。でも、幕府は事前に赤穂浪士を取り締まらす、討ち入り後に両国から高輪の泉岳寺までの行軍途中に捕縛もしていないし、牢屋にもブチ込んでいない。

待遇はどうあれ、46人の赤穂浪士は分割して大名家にお預かりの措置が下る。吉良上野介は首は取られる、息子は瀕死の重傷。

幕府の裁定は、上野介の息子に対して「士道不覚悟」により、役職を罷免、領地没収の上、信濃高島藩にお預け。

受けた傷がもとで、20歳の若さで死没。当然、お家は断絶と踏んだり蹴ったり。

故人吉良上野介に対しても、「浅野内匠頭に対して卑怯な振る舞い」があった為に、今回、このような事件に至った、と結果的に非を認めて裁定を覆した。

とは言え、赤穂浪士に対しては厳しい現実が待っていて、温情を掛けることはなく、15歳以上の子息は遠島。

15歳以下は15歳になると同時に遠島と言う、厳しいご沙汰。(女子はお構い無し)結局、五代将軍綱吉公が、死去後に大赦されるまで、継続。

事の経緯から幕府裁定、赤穂藩取り潰し、赤穂浪士討ち入りから処罰まで、様々な謎?があり、今でも議論対象になるんでしょう。

今後、時代が変わったとしても、語り継がれていくんでしょう。人は死して名を残すを、地でいったのだから。

横道に逸れてしまいました。仲入り休憩があり、浅草演芸ホールは、いつものように、全扉、避難口もフルオープン。

小規模劇場だけど、コロ助対策には気を配っているようです。観客もお年寄りが多いから尚更かも知れませんね。

仲入り休憩後は、神田伯山の姉弟子、神田阿久鯉あぐり)が登場。読み物は「赤穂義士外伝・天乃屋利兵衛・雪江茶入れ」

天乃屋利兵衛は実在の大阪商人だったものの、赤穂浪士とは何の関係も無い人だったらしい。

討ち入り直後に書かれた加賀藩前田家の『赤穂鐘秀記」に、「天野屋次郎左衛門」という大坂の商人が、赤穂義士のために槍の穂20本を密かに鍛冶に製作させたことが記される。

この事実と別人の天乃屋利兵衛が、ごちゃ混ぜになった創作の物語が、講談で語られたらしい。

講談の天乃屋利兵衛は赤穂藩お抱えの出入り商人。浅野内匠頭に謁見中、内匠頭秘蔵の雪江茶入れを見せられる。

利兵衛が来城後、内匠頭付き小姓侍が雪江茶入れが見当たらず大騒ぎに。このままでは腹を切り詫びなければならず、城代大石内蔵助に相談。

内蔵助は利兵衛に問いただすと、誤って割ってしまい、破損した茶器は捨ててしまったと白状。

内蔵助は内匠頭に事の次第を報告。すると内匠頭は手元にある雪江茶入れを取り出し、内蔵助に見せる。

なぜ、ウソをついたのかと、内蔵助は利兵衛に問いただすと、良かったと安堵する利兵衛は満面の笑顔。

いかに名器とは言え、茶器の為に立派な侍が2名も腹を切るならば、私が罪を背負って腹を切れば済む事と平然と言い放つ。

なぜ、利兵衛は侍に生まれてこなかったのだと、男気に関心すると言う読み物。別話の赤穂浪士討ち入りの際に弓、槍、刀など必要な武器、武具を用立てた事が発覚。

厳しく奉行所の拷問、取り調べを受けても白状せず「天乃屋利兵衛は男でござる!」の名セリフは有名。

日本人は忠義、忠信が大好きな国民だから、江戸時代から令和の世の中になっても、受ける読み物なんでしょうね。

次が漫談の、ねづっち。観客から、お題を貰って、数秒で回答する謎かけで「整いました!」で一世風靡

今も寄席を中心にラジオ番組レギュラーも持ち、YouTubeでも活躍中のようです。オチを考えてからカケを考えるんだとか。

次が落語家の三遊亭遊吉、柳亭楽助、そして曲芸の小助・小時と続いて、夜の部主任でトリを務めるのが神田松鯉

今年で80歳なのに声は通るし迫力も満点で、読み物は怪談ものの「四谷怪談」サブタイトルは「お岩誕生」

お岩さんなら今はTVで怪談ものはやらなくなったけれど、たぬき親父が子供の頃のTV📺と言えば、夏は芸能人水泳大会か怪談特集が定番。

そういえば、いつのまにか、どちらも放送しなくなってしまいました。お岩さんと言えば実在する人物で四谷怪談主人公。

でも実際のお岩さんは、良妻賢母で家計を支えたしっかり者で、お岩稲荷に祀られている神様。

四谷怪談鶴屋南北の創作物語。怪談話としては、実に良くできている読み物。 江戸時代、享保の頃の話、四谷左門町に御先手組の同心屋敷があった。

ここに30俵三人扶持に田宮又左衛門という者がいる。禄は少ないが、若い頃から倹約をして金を貯め、蓄えがあるので晩年は裕福に暮らす。

一人娘がおり「お綱」といい18歳だが、7歳のときに松皮疱瘡に罹り、顔中がアバタだらけのひどい形相になる。

お綱がひそかに思いを寄せていたのが、伝助という住み込みで働いている男。2人はいつの間にかいい仲になる。

本来は、不義密通で許されないことだが、醜い顔で貰い手のなかったお綱である。こうなったのも何かの縁だと又左衛門は思う。

表向きは2人を勘当ということにし、伝助の叔父さんの甚兵衛の力を借りて、2人のために京橋・五郎兵衛町に長屋を借りる。

 霞ヶ関に芸州広島安芸守の屋敷があり、伝助は屋敷内の足軽小屋で飯炊きをする。参勤交代で安芸守は国許へ帰り、足軽もみなそのお供をするが、足軽小頭の高田大八郎だけは病気だといって江戸へ残る。

一人だけでも飯炊きは必要なので、伝助は相変わらず、足軽小屋へと通う。5月5日、端午の節句の夕方のこと。

伝助は遅れて足軽小屋へとやって来た。妻のお綱が産気づいたが、まだ産まれてこないという。

大八郎は掃除したので二階には上がらないように言い付ける。膳の支度をする間、大八郎は風呂へと、出かける。

 火吹き竹で火を吹きおこしていると、伝助の腕に、生あったかい血が天井からポタポタと垂れてくる。

不審に思い。2階に行くと合羽笊(かっぱざる)の中をみると、その中には首と胴とに分かれた男の死骸が横たわっている。

そこへ大八郎が帰ってきた。伝助がいないので2階に駆け上がる。狼狽している伝助に、死骸は伊勢屋重助という、金貸しだと言う。

三年前に5両借りたが、今では利息が膨らんで15両になっている。今日も大八郎の元を訪れ、金を返せとしつこく言う。

大八郎はかっとして、刀でもって伊勢屋を斬りつけた。今度は、大八郎は伝助を殺そうとするが、間もなく産まれてくる子供の顔を見たいと哀願する様をみて助けることにする。

助ける代わりに、この死骸をどこかに捨ててくるよう伝助に言い付けて、3両渡した。殺した伊勢屋から奪った金の一部である。

伝助は雨合羽で死骸を包み、大名屋敷の裏門から出る。捨てようにも、捨てる場所がなく、あっちこっちをウロウロする。

仕方なしに死骸を持ったままお綱の待つ、京橋・五郎兵衛町の我が家へと帰る。お綱は食事をして、待っていた。

伝助は布団の洗濯を頼まれてきたと言って、押し入れのなかに死骸を入れる。お綱の顔を見ながら夫婦の情についてあれこれ考える。

伊勢屋がいつまでたっても帰らないと妻は心配しているだろう。伊勢屋は殺されたことを彼の妻に知らせようと、伝助は止めるお綱を振り払って家を出る。

しかし伊勢屋の妻はすでにこの世の者ではなかった。金を取り立てにいった夫が、いつまで経っても、戻らない。

妻は取り立て先の安芸守の屋敷、足軽小屋へと向かう。この女房は亭主がここへ来たことを知っている、生かしておくわけにはいかない、高田大八郎は伊勢屋の妻を一刀両断。

先ほどまで伊勢屋の死骸の入っていた合羽笊へ放り込む。いつまで待っても伝助は帰ってこない。

残ったお綱は不安でいっぱいである。九つの鐘が鳴り、雨が降り出す。外から声がする。

「ごめんくださいまし、霊岸島、伊勢屋重助の家内でございます。宅が訪ねております」。

お綱は「どなたもおいでになっていませんよ」と言葉を返す。「押入れのなかにごめんくださいまし」。

いつも間にか、顔色の青ざめた女が入ってきた。押入れを開けると、血の滴る生首を取り出してしっかと抱きかかえる。

「ここへおりました」。お綱がギャッーと叫び声をあげる。気を失い、同時に産気づく。こうして産まれたのが女の子である。

飛び込んできた長屋の連中は、お綱さんが赤ん坊と生首とを一緒に産んだと大騒ぎ。こっそり戻ってきた伝助は、もはやここには居られないとこの場を逃げ去ってしまう。

田宮又左衛門は、知らせを聞いて駆け付けてきたが、まもなくお綱の息が絶える。赤ん坊は又左衛門が引き取り育てることになる。

七日目、付けた名前が「お岩」である。このお岩が成長し、母親と同じ松皮疱瘡に罹り、二目とみられない面体になる。

縁付く相手がいなかったが、浅草寺で大道易者をする榊原数馬が田宮家の財産目当てで婿入りし、名を田宮伊右衛門と改める。

しかし彼こそは、あの足軽小頭、高田大八郎の倅であったのだった。これから数奇な因縁話が始まる。前置きからして、因果がほつれあった怪談話。

「講釈師、冬は義士、夏はお化け👻で、飯を喰い」^ ^「四谷怪談」「真景累ヶ淵」「鍋島藩猫騒動」「番町皿屋敷」も、近頃は知らない世代!が増えて来ています。

これはこれで、日本の良い文化なんだけど、それ以上に恐ろしい犯罪が起こる世の中。お化けもしらけてるかも?知れませんね。

拍手喝采の中、幕が降りて浅草田原町駅まで急いでダッシュ。神田駅で乗り換えて東京駅地下にあるカレー屋スイスに。

オーダーストップ10分前に入店。注文はカツカレー🍛。食べ終わり、東海道線に乗り込み、横浜駅経由で帰宅しました。