たぬき親父の周りにいた、戦争経験者も激減して、昭和も遠くなりにけりです。無くなった義理の父親は、2回も徴兵に取られた経験者で2回とも中国戦線。
上海方面で物資、食糧調達に従事して、実際の戦闘には関わらなかったと聞きました。調達の際には危ない目にはあったそうです。
最終的に上等兵で終戦。引き揚げ船で無事に帰国。軍事恩給は部隊調書やら兵役履歴が欠落していた為、支給されなかったとか。
やれ証明書を出せだの、なんだので、支給を受けるのは諦めたとか。勝手に貨物船に乗り込み、米軍の潜水艦がウヨウヨしている危険海域を渡り鉄砲担いで常に命の危険に会う場所に行くバカはいないのに。
義理母の兄は終戦時に満州で捕虜になり、シベリアに抑留。バタバタと同胞が倒れる中、運良く帰国。その後、平成まで生きて天寿を全う。
母親の兄は日立製作所勤務。戦時中は高射機関砲開発に携わる技術者。軍需産業に携わる技術者は大事だから徴兵無し?
でもアタマがおかしい陸軍から招集令状が届き、首都圏攻防の高射砲部隊に。まだ国内配属だから、ラッキー?
配属先は大洗海岸の高射砲部隊。首都圏に爆撃を敢行した米軍B29爆撃機を迎撃。当時は電子計算機が無いので、方位、距離、高度、速度を測距儀で計測。
計算尺で計算して、計測データを元に砲弾の炸薬量、広角度数、発射タイミングを決定してから「撃て!」となったそうな。
計測が遅いと発射タイミングがずれてしまうし、計測、計算ミスをすれば、当然、ヒットしないし、鉄拳制裁。散々だった様子。
それでも、下手な鉄砲も数を撃てば当たるで、通算で少なくとも、数機には砲弾が命中。撃墜、又は損傷を与えたらしい。
その後、頭にきた?米軍艦船による艦砲射撃で高射砲陣地は木っ端微塵。そうなると、次の高射砲が部隊配備されまで待機状態で終戦。
そうそう、中学の時の剣道部の顧問が、元陸軍少尉で中国戦線で○○兵を軍刀で両断にしたと言う事を得意げに言う、危ない先生でした。実際にそうだったのかは??
父親は栃木県のど田舎生まれで、戦時中は小学生だから、戦闘とは無縁、、ではなくて、近所の荒地に陸軍が飛行場を建設開始。
今は畑に変わっているものの、飛行機を収容する掩体壕は健在で、農家の物置きになっているらしい。
父親が飛行場を見た所によると、実動する飛行機は無くて、竹で組んで、むしろや枯れ草で覆ったハリボテの飛行機が数機のみだったそうです。
それでも、米軍戦闘機が来襲して、ハリボテに機銃掃射、爆弾投下を繰り返したそうな。
ある時、学校帰りに飛行場がある山側から戦闘機が飛んできて、父親達に向かって、降りて来てバリバリと機銃掃射。
慌てて田んぼに飛び込み、泥まみれ。飛び越して行く米軍戦闘機のパイロットが見えた!と得意げに話しておりました。
非戦闘員を攻撃するなんて、悪逆非道そのものだけど、当時は当然のように戦争犯罪が容認されていた暗黒の時代。
現在のウクライナ紛争ですら、戦争犯罪があり、実行した側は認めずに泥沼化。真相は常に藪の中。やはり平和が一番。
8/15は釣りには🎣いかず、かみさんの買い物付き合いで、東急田園都市線青葉台付近を西に東にうろちょろ。
買い物がひと段落したところで、駅から歩いて大体10分ぐらいのところにある、蕎麦屋の自然薯庵に入店。
店で蕎麦打ちをしていて、出て来る蕎麦はニッパチ蕎麦。(蕎麦粉8割、小麦粉2割)店内はカフェみたいな造り。
実際、デザート🍰にも注力している様子で、若い客ばかり。昼のランチは、とろろ蕎麦と天ぷら蕎麦などなど。
蕎麦屋の天ぷらって、あんまり美味くはないから、普段はあまり注文しないけど、まぁ、安価だからの理由で注文。
で、こちらがランチの天ぷら蕎麦。やはり、天ぷらはカラッと揚がっておらず、油ギトギト状態の素人レベル。
蕎麦は美味しいけど、この天ぷらを出されたんじゃあ、台無し。メニューにカレー南蛮蕎麦があったけど、そちらの方が美味そう。
自然薯が名物みたいだから、次に入店する機会があれば、今度は自然薯蕎麦か、カレー南蛮蕎麦にしよっと。
駅前の東急デパートに行き、2階にある無印良品で買い物。かみさんが、お茶をしたいと言うので、無印良品のカフェに☕️
アイスコーヒーとシナモンブレッドを注文。席は自分で確保するスタイル。面白いのは後払い形式。
お茶を飲んでから地下の食品売り場で夕食の買い出しをして、青葉台駅から電車に乗り込み帰宅しました。夏休みも即終了^ ^