燃えるブンブン
by:マギーミネンコ
ゼロハン2ストエンジン 雨のSaturday night
オイルはCastro 爆煙 後ろは煙幕
圧縮あげて ボアアップ80
Arrowチャンバー キンキン唸る
国道沿いに西へ行く
アロハカフェ 本牧
ドブ板の横須賀
走るブンブン カブるエンジン
ノーヘル頭が びしょ濡れ久里浜
マジでうるせぇよ( *`ω´)/〜>* ))))><
バイク好きじゃないと、何のこっちゃわかんない出来に仕上げております。すみません。
コロ助騒動の最中、釣り自粛で悶々としている皆様ガタガタ安普請。もう、コロ助の話題は、たくさんだ。
もう、5月20日?釣りも出来ないうちに梅雨入り。夏の高校野球は中止だし、このぶんじゃ、今年の夏は暑いだけで散々だな。
さて、そこで今回は自動車のお話です。(釣りの話じゃないんかい!)
未成年どころか、国家公認で小学生に自動車運転ができる「子供免許証」を交付していた時期があったのをご存知でしょうか?
実際に公道を走る事は出来ませんが、広大な敷地内の外周出来るコースを自由に走りまわる事が出来ました。
そして、そのクルマがダットサン「ベィビー」で2人乗りの中々、カッコ良いクルマ。たぬき親父が小学生時代に横浜市のこどもの国で走っていたクルマです。
こどもの国は皇太子ご成婚(現在の上皇ご夫妻)を記念して、横浜市郊外の旧陸軍弾薬庫跡(戦後は米軍に摂取されて米軍弾薬庫)に建設されました。
こどもの国内には、今でも閉鎖された弾薬庫入口が、あちこちに点在しています。
ちなみに、長津田駅から走る、こどもの国線は、旧陸軍の弾薬輸送用の引込み線でした。
不幸な戦争の遺構が、平和の象徴である、こどもの国に変貌を遂げた事は意義がある事だと思います。
その、こどもの国に日産自動車が小型自動車ダットサン「ベィビー」100台を寄贈。広大な園内に外周コースと自動車教習所並みの教習コースを監修。
有料ではありましたが、教習コース練習を満了した子供たちに「子供免許証」を発行。ひとりで外周コースを走る事が出来ました。
子供達には大人気。たぬき親父も親にねだり、「子供免許証」を取得。得意げに外周コースを疾走しておりました。
そして、中学生になり、こどもの国にも段々と足が遠のき、再び行った時には外周コースを残して閉鎖されていました。
高校時代は、暴走族全盛期。全国的にも有名な、ブラックエンペラーやら、一寸法師など様々な暴走族チームが乱立。
釣り仲間とツーケツ(2人乗りの事やね)で、深夜の大黒埠頭に入る橋の手前で、今ではお目にかかれない、数千台のクルマやバイクの集団に。
横浜銀蝿のノリで行くなら、今日も元気にツナギを決めたら、集合背負ってローリング^ ^これ、わかる人は絶滅危惧種。
集合管の代わりに、釣竿を背負った、たぬき一味には興味が無いらしく、バンバンと追い抜いて行く暴走族。
通り過ぎた後から、神奈川県警のパトカーが数台ピーポーピーポーと通り過ぎて行く。それから、(免許を)取らせない(バイクに)乗らせない(バイク&クルマを)持たせない3ない運動に発展していきます。
クルマ、バイク=危険!ならば禁止は、あまりにも短絡的。自動車やバイクを作り、世界に販売する国の国民が乗らなくなる。
この先、どんどん日本ではクルマに乗れない、興味が無い国民が増加するばかり。
しかし、それは、たぬき親父世代の次の時代のお話。たぬき親父世代は、クルマやバイクの話題で持ち切り。
学校で職場で、カー雑誌を見ては歓声をあげる奴や、バイク雑誌で大騒ぎする奴ばかり。
たぬき親父は、ダットサンベービーで磨いた腕で、18歳と同時に学割で教習所通い。ダブらず、皆勤で運転免許証を取得。
教習車はセドリックのコラムシフト、ディーゼルエンジン車でした。そして、続いて中型二輪免許を取得。
バイトで貯めたお金を持ち、新横浜駅周辺に点在していた中古車販売店に。込み込みで販売していたサニーエクセレントを購入。
後日、乗って帰る途中にラジエターホースに穴が空きエンスト。バッテリーが死んだり、オルタネーターが故障したり。
その頃の人気車は、トヨタはセリカ。クーペはダルマ。リフトバック車も大人気。日産はスカイライン。
セリカも2代目になり、今じゃあ放送出来ないキャッチコピー「名ばかりのGTは道を開ける」を打ち出して他のメーカーを挑発。
数年で壊れて、新車で30万円値引きの、コロナマークIIに買い換え。2ドアハードトップの、2000CC OHC 4気筒。
ダルで遅くて乗り心地だけが良いクルマでした。友人はセリカやカローラレビン、ロータリーロケットのサバンナRX3。
乗せてもらいましたが、マジ速かったけど、ブレーキも、マジ効かなくて結構、怖い思いをしました。
後にサバンナRX7やルーチェ、コスモ、ファミリアなどロータリーを乗せたクルマを続々と登場させた東洋工業(現マツダ)。
日産はターボ搭載のスカイラインで対抗していきました。ホンダはプレリュードがラグジュアリーカーとしてコスモと販売競争。
なんやかんやで、クルマに踊らされた世代は今や50〜70歳。それ以後の世代は3ない運動世代。
さて、脱線しましたが、ダットサンベービーに話題を戻しましょう。ダットサンベービーの元の車種があり、車名はコニー・グッピー。
元々は愛知機械工業(戦前は愛知航空機工業で急降下爆撃機、艦上攻撃機彗星、特殊攻撃機晴嵐を製造)で製造。日産に吸収合併。
日産(戦前は日本産業)は愛知機械とプリンス自動車(プリンスはスカイライン。旧中嶋飛行機で紫電改、疾風に搭載された誉エンジンを開発した設計者たちが創業)を併合。
航空機産業の技術を自動車に転用。軽量、小型、低燃費、高出力、しかも低価格で高品質とくれば、売れない訳が無い。
今は当たり前だけど、オイルを潤滑に廻すオイルポンプ、液冷式の場合の水冷用ラジエター、オイルを冷やすオイルクーラー、燃料直噴、流体継手、液状パッキン、リーンバーン、ターボ、スーパーチャージャー等々。
これらの航空機用先進技術を惜しみなく、自動車設計に。日本の自動車は、米軍の半分の排気量で開戦当初、対等に渡り合った零戦、隼の技術をぶち込んだ賜物。
ベィビーは、まるでロータスのような垢抜けたバタ臭いデザイン。これ、スケールアップして最新装備で販売したら、今でも売れるんじゃないかな。
100台を製造して、こどもの国に寄贈。コースの監修にも日産が担当したとか。
排気量200CC未満だけれども、ミッドシップに2ストロークエンジン搭載。リアトランク付きで、フロントは空っぽ。
変速機は無くて、トルコン付きトランスミッションを搭載。一段一速でスピードメーターは100kmまで刻まれたものの、時速30kmで警告音が鳴り、リミッターが作動する仕掛け付き。
それでも、当時の子供達には大人気。子供免許証を持っていればクラスでもヒーローの良き時代でした。
そのNo.100が、こどもの国倉庫で発見されて、日産の有志グループによりフルレストアされて実働車に。
ニッサン横浜HQショールームに展示されたりもしたので、ご存じの方も多いのではないでしょうか。
今でも展示されているかは、わかりませんが、今後も展示される機会もあるでしょうから、是非、ご覧になって下さい。
電気自動車?ハイブリット?興味ないです、たぬき世代。やはりV8、ストレート6、許せる範囲でDOHC 16バルブ^ ^
EFIも要らねし、ソレックスかウェバーのツインキャブ。値段が高くなるだけのアイサイトやら超音波センサーも不要。
ギアはマニュアル6速トランスミッションが良いな。ショックはコニーか、カヤバ。
燃費?リッター10も走れば充分。無鉛ハイオク。やはり、ズドドドと走るヤツが。しかし、高すぎて買えないスープラやGTR。
シルビア、13B搭載のRX9、インテグラ、ランエボ、B4が180万円ぐらいで出ないかな。
ハチロクぐらいなら買えるかな?かみさんに相談してみるとしますか?(たぶん、瞬殺)
自由にクルマを買えた独身時代が懐かしい。ハイブリッド、電気自動車?つまらないったらないな。