ふれーゆ裏たぬきのトリック仕掛釣り日記

横浜港奥の『昼間は釣れないふれーゆ裏』での夕まずめ釣りをメインに1年中、アジ嬢を追いかけまわしております。

(竿休め)技術屋が語る航空機エンジン^ ^20190204

相変わらずの寒波やら急激な
外気温乱高下からか、横浜港
のアジ嬢はおかんむりらしく
姿を消したまま。

ふれーゆ裏も、釣れてないみ
たいなので、土日は釣り道具
メンテや、不足品の補充に、
専念しております。

そこで、今回も釣り以外の話
を一席。

釣りバカのたぬき親父ですが、
一応、エンジニア^ ^で過去に
は日産RSやらマーチ・アルミ
エンジン開発の端っこに関わ
った事があります。

今じゃ、ハードでは無くて、
ソフト・オンリー。

いても居なくても良いんじゃ
ね?的な位置ずけで満員電車
に揺られて揺れて^ ^

ふと思い出したのが、当時の
大学講義でレシプロ式エンジ
ンは昭和20年位までには熟成、
完成した技術で、戦後は何も
新方式は開発されず、自動車
に応用されていった云々。

戦前からあったトヨタ、日産、
三菱の自動車やらトラックは
と言うと、エンジン故障も多
くて、ダメダメな代物らしく、
義理親父が中国戦線での部隊
移動時に、古いフォードトラ
ックか新型三菱トラックに乗
るのかでクジ引きをしたと、
聞いた事があります。

当たり→古いフォード
ハズレ→新型三菱

新型国産トラックは途中でエ
ンコ、周りを中国八路軍に囲
まれて全滅。

まさに運命の別れ道だったら
しい。

だもので、昭和初期にまとも
国産車すら無い時代に忽然
と現れた純国産の星型空冷式
1000馬力クラスのエンジン。

イメージ 19


通勤時は、ヒマなんで色々と
調べてみました。

海軍採用時の正式名称:栄
陸軍採用時の正式名称:ハ25
(陸軍は発動機の、は→ハ○○)

イメージ 1


ちなみに中島飛行機は戦後、
解体されて一部が富士重工
(現在のSUBARU)として、
頑張ってます。

イメージ 2


現在、星型空冷エンジンは、
製造しておりません^ ^

イメージ 3


米国も日本も、海軍機は、
基本的に、航空母艦の限られ
たスペースでの整備が容易な
空冷式エンジン搭載機採用す
る傾向にあったようです。

地上基地で整備する陸軍機に
は、何にも制約がありません
ので、ドイツからライセンス
契約したダイムラー・ベンツ
の水冷V型12気筒エンジンの
DB601Aを川崎重工が製造。

イメージ 4


陸軍採用名称は、ハ40で、
搭載された機体が三式戦闘機
飛燕。和製メッサーシュミッ
トと言われました。

イメージ 5


しかし、当時の日本で精密な
DB601Aを完全にコピーする
事は困難なのと、優秀な整備
員がつかないと充分な性能を
発揮出来なかったようです。

栄エンジンは中島飛行機
一式戦闘機(通称:隼、米国
コードネーム:オスカー、
ゼロワン)、三菱重工の、
零式艦上戦闘機(コードネ
ームはジーク)に搭載され
ました。

イメージ 6


航空機用空冷複式星型14気筒
エンジンで、バルブ駆動方式
はOHV。

イメージ 7


排気量:27.86ℓ
総重量:570kg
公称馬力:980hp/2800rpm
燃料供給:キャブレター方式
過給機:遠心式スーパーチャ
ジャーは一段一速

イメージ 8


昔からのバイク乗りやクルマ
に乗ってる人はわかると思い
ますが、オートチョークです
らなく、回転数が一定になる
までには、充分な暖気運転が
必要です。

アニメにあるように、走って
飛行機に駆け寄りエンジンを
始動、直ぐに飛び立つは不可
能で、途中でエンコするだけ。

バッテリー(蓄電池)も搭載
されていて、外部から手を借
りなくてもエンジンスタート
は可能。(但し、スタータは
電源を喰うので、2回が限度
とか)

プラグは日本製だけどエンジ
ンオイルは米国製。当時日本
では合成オイルを精製する事
は困難で米国製に頼っていた
そうです。

イメージ 9


開戦前に米国から多量にエン
ジンオイルを買い込み、一度
使ったオイルを精製、再利用
していたようです。

また、シリンダーヘッド、
シリンダー&ヒートシンクは、
一体構造の鋳鉄製の芸術品。

イメージ 10


クランクケースには熱ハメで
装着する為に、ミクロン台の
加工精度が要求されており、
量産には向かない構造。

現代では、クランク、シリン
ダー、ヘッドケースは別体で
クランクケース側に全ネジの
スタッドボルトを締めてから
上に、シリンダー、クランク
を乗せて、間にはパッキンを
挟み、最後にボルトで均等に
締めて固定します。

良いパッキンの技術を持って
いなかった為、芸術的な精密
加工をしいられた経緯があり
ます。

色々と問題はあったものの、
1000馬力クラスとしての性能
は世界最高峰。倍近い馬力の
米国製エンジンを物ともせず
低燃費で高出力。

さらに航空機用キャブレター
を国産で開発。当時のキャブ
では急旋回、急上昇、急降下
やら背面飛行をするとキャブ
がついていけずに燃料がエン
ジンに供給不良を起こす為に
これらの行為は出来ないのが
常識。

高性能なキャブレターと高性
能で低燃費なエンジンが組ん
だ日本の零戦、隼とドッグフ
ァイトをする事は死を意味す
ると米軍、英軍は恐怖のどん
底に陥りました。

日本機は曲芸の様に宙返りや
高速からのクイックターン
難なくこなす技量の裏には、
優秀なキャブレターがあった
と言う事です。

イメージ 21


また、キャブレターへの燃料
混合気を手動で制御して増槽
タンクを併用すると、羽田か
らフィリピン・マニラ空港ま
で無着陸飛行できる増大な、
航続距離も獲得。

これも戦後のリーンバーン・
エンジン元祖。ハードも使い
こなす側も凄い。

製造が難しいエンジンを増産
して、合計33,233台を製造。

開戦前から開戦数年は無敵破
竹の勢いから、米国の航空機
技術と生産性に押されて次世
代のエンジン開発に遅れを取
り、やっと完成したのが、誉
エンジン。

イメージ 11


サイズ的には栄エンジンと変
らず、シリンダー間に4気筒
を追加、星型複列空冷18気筒
として2000馬力クラスでは、
世界最小最軽量。

排気量:35,8ℓ
総重量:830kg
公称馬力:1800hp/2900rpm
燃料供給:キャブレター方式
過給機:遠心式スーパーチャ
ジャーは一段二速

トップクラスのエンジンを、
短期間の間に作り上げる離れ
技をやってのけた。

イメージ 12


当時の技術では生産も整備も
困難だったが、完全整備され
たエンジンは高性能で海軍の
紫電改、陸軍の大東亜決戦機
とまで言われた疾風に搭載。

イメージ 16


完全整備されてオクタン価が
高い燃料、優秀なパイロット
が操縦すれば無敵のエンジン。

艦上偵察機彩雲が米軍艦載機
に追撃されて軽々と振り切り、
「我に追いつくグラマン無し」
と打電した事は有名。

イメージ 13


しかし、無計画な徴兵制度か
ら優秀な工員や技術者まで、
戦場に駆り出して生産性どこ
ろか品質まで劣化。

米軍の包囲網を死にものぐる
いで前線に届けた戦闘機も、
10機中、5機が不良品で飛ぶ
事も出来ない惨状。

やっと出撃してもエンジンの
不具合で帰投、悪けりゃ墜落
と落日の勢い。

さらに軽視していたレーダー
(電探技術は、戦前に日本の
八木博士が発明した技術で、
日本陸海軍は見向きもせず、
いち早く採用したのは、米国、
英国、独国。)に完膚なきま
でにしっぺ返しを喰らい、
事実上、最後の海戦である、
マリファナ沖海戦で日本連合
艦隊は壊滅。

イメージ 20


それでも、誉エンジンを通算
で10,000台(数量については
諸説あり)あまりを製造した
ようです。

無敵の日本機動艦隊の航空母
艦は撃沈、又は大破されて、
新鋭機を搭載する空母が無い
状態となり、そのまま終戦

奇跡の誉エンジン設計主任者
は、中島飛行機中川良一技師。

戦後、プリンス、日産自動車
の役員を歴任。

日本グランプリで一周だけ
とはいえ、ポルシェを従えた
プリンス・スカイライン2000
GTR、R380、383のエンジン
(S20型、GR8型、GRX-3型)
設計にも携わって日本の自動
車技術を世界に知らしめる事
になります。

イメージ 17


また、三菱重工も念願の国産
エンジンを開発。
(三菱は戦後、三菱自動車
なってもエンジン名称に惑星
名をつける事になります)

火星から金星エンジン。金星
は1500馬力クラスだけども、
軽量で、生産性が誉よりは、
良好で整備も容易なエンジン。

イメージ 14


火星エンジンは海軍の一式陸
攻撃機局地戦闘機雷電に。

イメージ 18


金星エンジンは陸軍の川崎水
冷エンジン生産が追いつかず
に放置されていた機体に無理
やり搭載して、五式戦闘機と
して大活躍しました。

イメージ 15


以後は、皆様ご承知の通りで
時代はレシプロからジェット
推進式エンジンに切り替わっ
ていきました。

航空機エンジンひとつをとっ
ても、日本は技術的に優れて
はいたが、大量生産、品質の
維持管理には悲しいかな米国
の及ぶところでは無かった。

世界的な自動車メーカーの、
非凡なクルマを大量生産して
続々と新型車を市場に投入す
る米国と、物は優れているが
量産は聞かず、新型車を開発
するだけの資金力に乏しく、
マイナーチェンジで切り抜け
ようとした日本。

しかし、今や、資金力、技術
力も生産性も品質も優れた、
日本。

だからと言って、中国やら、
他の国と武力で事を構えるの
は辞めて欲しい。

平和な時代に生まれた事を、
先代に感謝しつつ、好きな釣
りが出来る幸せを満喫してい
けて、本当に良かった^ ^

それでは、次回は機体につい
て釣りをしていないヒマな?
時に掲載してまいりましょう。